【 名古屋城 】

名古屋城は、関ヶ原の合戦後江戸幕府を開いた徳川家康が、慶長14年(1609)東海道の要所として、また、大阪方への備えとして、清須(現清須市)から名古屋へ遷府を決定し、加藤清正・福島正則・前田利光などの諸大名20名に普請(土木工事)を命じて作られた、代表的な平城です。<パンフレットから>

高速道路で名古屋を通過する時などに遠くから眺めていた名古屋城の天守閣です。
「鉄骨鉄筋コンクリート構造の天守閣」ということなので、魅力は感じないのですが、愛知県に行ったので訪問してみました。

(2009年3月20日訪問)

9:22頃、名古屋城の北側「名城公園」方向からの画像です。
ナビに任せて、名古屋城と名城公園の間にある道路に着いたら、土日は駐車可能でした。それから名古屋城の駐車場を探すのも面倒だし、歩いてもたいしたことは無いだろうと勝手に思って、歩くことにしました。
ところが、結果的に入口は、ほぼこの反対側なのでした・・・。まあ、運動だと思えばいいんだけど。
9:33頃、ようやく正門に着きました。
正門を入ったところにあった、城郭内の案内図です。
西南隅櫓(すみやぐら)<重要文化財>
古くは未申櫓(ひつじさるやぐら)ともいわれ屋根二層、内部三階の櫓です。
外部に面した西・南両面には軍事用の「落狭間(おとしはざま:石落し)」を張り出して、屋根は千鳥破風(ちどりはふ)にして擬装しています。この櫓は、濃尾大地震で石垣と共に崩壊しましたが、大正12年(1923)宮内省によって修理復旧され、鬼瓦などに菊花紋が見られます。<案内板から>
表二之門です。<重要文化財>
古くは南二之門と呼ばれ、本丸追手枡型の外門に当たるもので、門柱・冠木(かぶき)とも鉄板張りとし、用材は木割りが太く堅固に造られています。袖塀は土塀として数少ない遺構です。<案内板から>
だけど、あまり良さを感じない・・・。
表二之門の裏側(内側)に回ってみました。
木柱の下はコンクリートで補修され・・・、
その木柱の上部はコンクリート製の屋根で、「門のサイボーグ」とでも名付けたいところです。
まあ、名古屋城自体が、見るからに鉄筋コンクリート造りみたいだから、これで良いのかもしれない・・・。
表二之門の前から堀の中を見ると動物が・・・。ズームで写してみたら、鹿のようです。
小天守閣と天守閣です。
立て札の所は「本丸御殿跡」で、その復元工事をしているそうです。
天守閣です。
近づいて眺めるにしても、この辺りから眺めるのがやっとですね。
近づくと、鉄筋コンクリート作りなのが分かってしまいます・・・。
金鯱、ズームです。
小天守閣側から、天守閣内には入れるようになっています。
小天守閣内部から天守閣方面へ続く部分です。
天守閣の内部は、ホテルのロビーみたいな豪華さです。
この階段か、エレベーターで上部へ行けます。
いろんな
展示物や、
作り物で、観光客の目を楽しませてくれます。
他所の国宝の天守のように、その存在だけで客を呼ぶことは出来ないんでしょうね・・・。
最上階の展望室です。
展望室から、名古屋ドーム方向の景色です。
城内の石垣を見ていると、多種多様の文様を刻んだ石を見つけることが出来ます。
これらは、築城にあたって、石垣の築造を命じられた諸大名が、自分が運んだ石を他大名の石と区別するために刻んだ「目印」です。<パンフレットから>
東南隅櫓<重要文化財>です。
東南隅櫓と天守閣です。
繰り返しになって恐縮ですが、「名古屋城の天守閣は遠くから眺めるほうが良い。」ですね!。


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