【 秋田城政庁跡 】

秋田城跡は奈良時代から平安時代にわたって東北地方の日本海側(出羽国)に置かれた大規模な地方官庁の遺跡で、古代の政治・軍事・文化の中心地でした。

天平5年(733)に、秋田村高清水岡に遷された当初は「出羽柵」(でわのさく)と呼ばれ、やがて天平宝字4年(760)ごろに秋田城と呼ばれるようになったのだそうです。
奈良時代には出羽国の政治をおこなう「国府」が置かれ、津軽(青森)・渡嶋(北海道)のほか、大陸の渤海国など対北方交易の拠点としても重要な役割を果していたと考えられているのだそうです。

昭和14年には、約90ヘクタールが国の史跡に指定されました。

ここでは、政庁跡をご案内します。

(2011年10月9日訪問)
 
秋田城跡出土品収蔵庫方向を背にして、復元された政庁東門と築地塀方向です。
画像右方向は秋田県護国神社方向です。
復元された政庁東門に向かいます。
復元された政庁東門と築地塀です。
復元された政庁東門です。
近くにあった「政庁第1期」の復元模型です。
右が東方向です。
政庁第1期の案内板です。
「政庁第2期」の復元模型です。
右が東方向です。
政庁第2期の案内板です。
「政庁第3期」の復元模型です。
右が東方向です。
政庁第3期の案内板です。
政庁東門から見た東脇殿跡です。
上の画像の右側、政庁東門から見た正殿跡です。
上の画像の右側、政庁東門から見た北東建物跡です。
上の画像の右側、政庁東門です。
正殿跡です。
現地の案内板にあった、「正殿跡の発掘状況(南から)」の写真です。
正殿は、秋田城で最も重要な建物です。正殿や前面の広場では出羽国の政務や、定期的に貢物を持って訪れる蝦夷に対しての贈り物、宴も行われていたと考えられます。また、時には外国からの使節を迎えての儀式も行われていました。
この建物は、ほぼ同じ場所で6回建て替えられています。最後の建物は石の上に柱を立てる礎石式の建物ですが、それ以前の建物は直接地面に柱を埋め立てる掘立式の建物でした。
<案内板の記述>
正殿の遺構図です。
<現地にあった案内板>
正面から、正殿跡です。
正殿跡から見た、政庁東門と築地塀方向です。
正殿跡(画像下部側)と、政庁東門です。
正殿跡から見た、北東建物跡です。
北東建物跡です。
北東建物跡の発掘状況です。
<現地にあった案内板>
北東建物跡の遺構図です。
<現地にあった案内板>
北東建物跡の案内です。
U期の、北東建物復元立面図です。
北東建物跡から見た、政庁東門です。
北東建物跡から見た、政庁東門と東脇殿跡です。
北東建物跡から見た、正殿跡です。

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