【 三内丸山遺跡 】

青森での滞在時間は少なかったのですが、三内丸山遺跡にだけは立ち寄りたいと考えていました。


三内丸山遺跡は国の特別史跡です。
今から約5500〜4000年前の1500年間、青森市の三内丸山に大規模な縄文集落が存在していました。
これまでの調査で、縄文時代の竪穴住居跡は550棟以上確認されています。
また、大型竪穴住居跡や直径約1mのクリの柱で造られた「大型掘立柱建物跡」などが見つかっています。
規模・内容とも従来の縄文時代に対するイメージを大きく覆す役割を果たした、きわめて重大な遺跡です。
(三内丸山史跡のガイドブックから)

(2007.8.20)
 
復元された縄文の建物。
南盛り土
生活の廃棄物や廃土・残土が1000年間積み重ねられています。大量の土器の他に土偶やヒスイ製の玉も出土しています。(三内丸山史跡のガイドブックから)
大型竪穴住居(想定復元)
長さが32m・幅9.8mの、三内丸山遺跡最大の規模です。使用目的については共同作業所、集会所、厳しい冬季間の共同家屋などいろいろな説があります。
(三内丸山史跡のガイドブックから)
上の画像の建物の内部です。
大型掘立柱建物(想定復元) 写真などで目にする三内丸山遺跡の象徴的な構造物ですよね!。

この構造物の用途についてはいろいろな説がありますが、集落を象徴する建物として復元されました。
(三内丸山史跡のガイドブックから)
大型掘立柱建物跡
6個の柱穴の中心の間隔は全て4.2mとなっており、当時長さの基準があったものと推測されます。
(三内丸山史跡のガイドブックから)
上の画像と同じもので、フラッシュ撮影しました。
大型掘立柱建物跡の穴には、木片が残っているものもありました。)
こちら別の穴のもの(フラッシュ撮影)です。
子供の墓(埋設土器)

子供の遺体は土器に入れられ、居住域近くに埋葬されていました。多くの土器の中には、こぶし大ほどの石が1〜2個入っていました。
(三内丸山史跡のガイドブックから)
北盛り土

南盛り土と同様、生活の廃棄物や廃土・残土が1000年間積み重ねられています。
(三内丸山史跡のガイドブックから)
掘立柱建物(想定復元)
史跡内にあった案内板
竪穴式住居って、他の遺跡でも目にします。
ずべて茅葺かと思っていましたが、いろいろな竪穴式住居があるんですね!。
茅葺住居
土葺住居
樹皮葺住居
茅葺住居

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