子規堂は、正岡子規の文学仲間であった正宗寺の住職、仏海禅師が子規の業績を記念して、子規が17歳で上京するまで過ごした住居を境内に復元した記念館です。
(2006年9月9日訪問)
境内には坊ちゃん列車の客車が展示してありました。 |
子規堂正面 |
子規の勉強部屋 玄関を入って左側にあるこの小部屋(3畳)は、子規が松山中学に入ってから増築してもらった勉強部屋だそうです。 |
居間(6畳) 玄関わきの3畳の部屋が出来るまで、子規はこの窓際に机を置いて勉強をしていたという。 |
子規居士髪塔 <案内板> 裏面に,「明治三十七年九月十九日樹(たつ)」とある。 子規は明治35年9月19日死去、10月28日ここで遺髪埋葬儀式と追悼会が行われ,三周忌にこの髪塔が建立された。 文字やデザインはすべて親交のあった下村為山(しもむらいざん)による。 昭和23年10月28日、県の「記念物・史跡」に指定された。 |
子規堂の正面にある、子規の「旅立ち」の銅像。 |