「鉄道歴史パーク in SAIJO」は、愛媛県西条市にある観光・交流施設です。 伊予西条駅に隣接した敷地に、「四国鉄道文化館」、「十河信二記念館」、「観光交流センター」の三つの施設が設けられています。 (2012年8月20日訪問) |
伊予西条駅です。 駅に向かって、左側の敷地(以前は駅の構内だったのかもしれません)に、鉄道歴史パーク in SAIJOの施設があります。 |
16:37頃、手前が十河信二記念館で、奥が四国鉄道文化館です。 |
十河信二記念館入口です。 |
上の画像の、引き戸を入った所です。 |
館内、1階です。 |
上の画像のところ(銅像の前)に写っている、「有法子」の解説です。 中国語で、“成せば成る”とか“まだ方法はある、もっと努力しよう”というような意味があります.先生の座右の銘といってもいい言葉です。 国鉄総裁の頃、先生が経験した自叙伝的な「いろいろな昔話」を「交通新聞」に掲載していましたが、そのタイトルも「有法子」です。国鉄の中央研修所講堂にもこの言葉の額を掲げました。近くは氷見公民館の落成を祝ってこの言葉の揮毫をいただいています。 自叙伝「有法子」の中で、先生は以下のように語ります。 ――古来中国では、「有法子」と「没法子(メイファーズ・・・もう手段が尽きた、仕方がない)」が並んで使われていたのに、最近は“有法子”が使われなくなり、“没法子”という言葉だけが流行っている。「“没法子”は魂に皺のよった老人の言葉であって、若者の用いるべき日用語ではない・・・」「今日の教育は、学問、知識を断片的に授けてはいますが、人間を作るという総合的な教育という効果は充分に挙がっていない・・・理想を目指して、正道を猪のごとくに突進するという情熱に燃えている若人・・・そういうタイプの人材を沢山送り出してもらいたい」―― 先生の教育観が良く伺われる言葉であり、様々困難を排して「東海道新幹線」を現実のものにした先生のバイタリティの源になる言葉だと思います。 |
2階に行きます。 |
2階です。 有法子の額が掛けてあります。 |
「有法子」の額です。 3つ上の解説にあるように、ずっと昔に勤務した日本国有鉄道の中央学園にも「有法子」の額があって、その精神を教育されたものでしたが、今この言葉を前にして、胸を張ることができない・・・。 |
十河信二に縁の品が展示してありました。 |
十河信二記念館の2階から見た四国鉄道文化館です。 |
1階に下りて、上の画像のところに来ました。 |
四国鉄道文化館の入口です。 |
館内には0形新幹線とDF50の1号機が展示してあります。 ところで、撮影した時には気にも留めなかったのですが、DF50は線路の上に載っています。 下の方でご案内しますが、この線路は予讃線に通じているのです。 |
新幹線は、カットされたものでした。 |
上の画像の戸から車内に入りました。 初期の0系の椅子ではなく、取り換えられているようです。 |
運転席です。 |
運転席に座りました。 |
運転士の目線。 |
Nゲージも展示されていました。 |
動画で映しました。 |
とても短い動画ですが、別角度です。 |
軌道自転車(きどうじてんしゃ)や、 |
パンタグラフも展示されています。 |
DF50の展示は、車体側面が切り取ってあって、車体内部の構造を見学できました。 |
ターボとエンジンと発電機です。 DF50は、発電用のディーゼルエンジンと駆動用のモーターを搭載した電気式です。 エンジンで発電機を駆動し、発生した電力でモーターを回して走行する方式です。 |
SG3蒸気発生装置は、軽油を燃焼させて水を沸騰させ、客車暖房用の蒸気を作る装置だそうです。 |
DF50の運転台です。 |
機関士の目線です。 |
通票(タブレット)閉塞機です。 |
上の画像の上部です。 サボ(行先札)やヘッドマークが並んでいます。 |
館内に高い場所があったので、そこから写しました。 |
場所を移動しました。四国鉄道文化館の背面です。 この画像の線路は、館内のDF50が載っている線路です。 |
上の画像を写した場所で振り返って写しました。 この先は、 |
この様に予讃線に通じています。 画像奥方向は中萩駅(なかはぎえき)方向です。 |
観光交流センターです。 |
館内です。 |
館内です。 |
だんじり屋台展示コーナーです。 |
だんじり屋台です。 |