宇和島城(うわじまじょう)は四国の愛媛県宇和島市丸之内にあった城で、国の史跡に指定されています。 また現存する天守は国の重要文化財に指定されています。 築城は藤堂高虎ですが、現在の天守は宇和島伊達家2代宗利が寛文6年(166年)頃に再建したものだそうです。 (2012年8月23日訪問) |
15:24頃、天守閣の北側にある、コイン駐車場(画像右側の白い柵の所)に車を入れました。 正面の門は藩老桑折氏武家長屋門です。 この門は、現在の中央町一丁目にあった宇和島藩の家老桑折氏の長屋門を、昭和27年にここに移したものです。<案内板の記述> |
天守を目指して坂道を上ります。 |
石垣です。 |
雷門跡です。 本来なら順路は直進なのですが、7月の豪雨で登城道が通れなくなったのだそうです。 ここは右に進みます。 |
ちなみに、上の画像のところを直進方向に少し進んでみると、この様になっていました。 |
そんなわけで、2つ上の画像のところを右に進むと、仮設の通路が作られていました。 この仮設階段を上りきった所が次の画像です。 |
二の丸跡です。 この画像に写っている石段を上った所が次の画像で、 |
本丸跡です。 |
上の画像を写した付近で、南方向を写しました。 |
上の画像の右側です。 |
上の画像の右側です。 |
上の画像の右側です。 |
上の画像4枚のところ、動画です。 |
本丸跡から見た二の丸跡です。 |
宇和島城の天守は、3重3階の総塗籠式(そうぬりごめしき)、層塔型(そうとうがた)の天守だそうです。 |
別角度です。 |
別角度(上の画像の左側から)です。 この画像の右側から写すと上の画像、左側から写すと下の画像です。 |
別角度(上の画像の左側から)です。 2つ上の画像を正面とすると、避雷針の導線がある面は、背面側です。 |
別角度です。(避雷針の導線を参考に、向きを想像してください。) |
天守の入口です。 |
上の画像に写っている引き戸の所から内部を写しました。 |
1階の外廊下部分です。 |
1階の内側部分です。 |
1階の内側部分から2階に上がる階段です。 |
上の画像に写っている天守閣の模型です。 模型の前には「天守閣模型 縮尺十分の一 万延元年の作 作者不詳」という案内板と、「修理、玄関取付、土台石垣は昭和37年9月作成 作者 棟梁 黒田善太郎」という案内板が並んでいました。 |
2階に上がります。 |
2階の外廊下部分です。 |
2階の内側部分です。 この画像の対面側から写した画像が次の画像で、 |
3階へ続く階段です。 |
3階へ上ります。 |
3階(最上階)です。 |
天守の北西方向の窓から写しました。 宇和島港方向です。 |
天守の北東方向の窓から写しました。 |
天守の南東方向の窓から写しました。 |
天守の南西方向の窓から写しました。 |
天守3階には、修理をした際の写真が掲示されていました。 北東隅から3階内部を写した写真です。 (展示の解説文) |
二重南面屋根(野地の状態)です。(展示の解説文) |
3階外部壁下地の状態<正面(西面)>です。(展示の解説文) |
1階外部壁下地の状態<南側を背面から見通す>です。(展示の解説文) |
2階に下ります。 |
2階です。 |
1階に下ります。 |
上の画像の階段の所で写した梁です。 画像正面の壁の向こう側で写した画像が、次とその下の画像です。 |
上の画像の右側の梁を支えている部分です。 |
2つ上の画像の左側の梁を支えている部分です。 |
16:11頃、天守を後にしながら、写しました。 |
16:18頃、コイン駐車場付近まで戻りました。 いつも世話になっている、キューブを写しました。 |