【 岐阜公園・信長居館跡 】

岐阜公園(ぎふこうえん)は岐阜市の金華山山麓にある都市公園で、金華山ロープウェーを利用して岐阜城がある金華山に行くことができます。
信長居館跡(千畳敷御殿)、板垣退助像などもあります。


(2010年4月11日訪問)
 
8:47頃、駐車場から公園に向かう途中に「日中友好庭園」と名付けられた庭が整備されています。
その入り口に設けられた、杭州門と名付けられた門です。
門から眺めた園内。
園内は、池の水面が花筏状態でした。
公園に向かう途中、ユニークな水門がありました。
この橋を渡って公園側に行きます。
公園内、金華山ロープウェイの乗り場です。
このあと、ロープウェイで金華山にある岐阜城へ向かいます。
山内一豊と千代「婚礼の地」の碑。
大正天皇御大典を記念して1916年5月建立された三重塔です。
板垣退助像。
板垣退助遭難の地、案内板。
遭難の地の石碑。
明治大帝聖像
10:32頃、織田信長居館跡への入り口。
画像右の石柱には「岐阜市指定史跡 岐阜城跡千畳敷 織田信長居館跡」とあります。
織田信長居館跡案内図です。(図の「現在地」にあったもの)

虎口と呼ばれる折れ曲がった通路の両側には、巨大な石を使った石列が続いています。大きな板状の石を立て並べて、裏面に石(裏込め石:うらごめいし)を詰めて造られており、石材にはチャートという金華山で採れる石が使われていました。
その様子はポルトガルの宣教師ルイス・フロイスの記録にある「裁断されない石の壁」を彷彿とさせます。
巨石列は全国的にもあまり例がなく、岐阜城信長居館の入口を象徴する構造物といえます。
「宮殿は非常に高い山の麓にあり、その山頂に彼の主城があります。驚くべき大きさの裁断されない石の壁がそれを取り囲んでいます。・・・」ルイス・フロイス著「日本史」から
<案内板から>
巨石配列図です。
案内板です。
案内板の前からB(左側)、F(正面)、G(斜め右側)の巨石面です。
正面に進み突き当たって、左に折れる通路が続いていますが、突き当たり付近からその通路を写した画像が2つ下です。
Fの右端、「出土した石」部分です。
Fの巨石面付近から、信長の宮殿へと続く通路です。
上の画像と反対側から写しています。
この画像正面がGの石面で、そこを右に折れると、6つ上の画像の案内板があります。
発掘調査で見つかった巨石列通路(上の画像を写した場所にあった案内板にあったもの)です。
上の画像と見比べてみると、同じ場所だということがわかります。
巨石列の断面

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