【 博物館 網走監獄 】

網走市にある「博物館 網走監獄」は、明治時代から実際に網走刑務所で使用されてきた建物を保存公開している野外博物館です。

(2009年8月22日訪問)
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14:40頃、博物館網走監獄の入り口です。
入場券売り場(画像の左方向)の隣に再現された外門です。
再現構築された「正門」です。

通称「赤レンガ門」と呼ばれた網走刑務所正門は、「最果ての監獄」と呼ばれ恐れられた時代の網走刑務所の威厳を感じさせます。
正門の左右には部屋が設けられていて、一方は正門担当看守が受け付けとして使い、もう一方は面会に来た家族が申しこみと待合室に使いました。
<案内板から>
係りの人に写してもらいました。
正門の(向かって)右に設けられた面会人待合室です。
網走刑務所の旧庁舎

旧庁舎は明治45年に建築され昭和62年まで使用された「総瓦葺切妻造り」で「コの字型」に三棟を組み合わせた建物です。
一見洋式建築に見えますが、正面の千鳥破風の屋根をもつ草寄、鬼瓦をのせた屋根には和風建築の特徴もみられ、和洋折衷の「擬洋風建築(ぎようふうけんちく)」といわれ、明治時代初期の官庁建築に数多くみられました。
庁舎は刑務所の主軸となる所で、中には、典獄(現在の刑務所長)室をはじめとして、会議室、総務課、戒護課、用度課、作業課等があります。昭和63年に移築復元されました。
<案内板から>
旧庁舎の中には面会所が再現され、
面会風景も再現されていました。
面会心得
網走刑務所面会所内の面会人待合室に掲示されていたものです。<案内板から>
典獄室(てんごくしつ)
典獄は現在の刑務所長にあたる、監獄の最高責任者のことです。
典獄室(てんごくしつ)では、検食風景が再現されています。
検食とは受刑者に与えられる食事と同じものを典獄はじめ管理者が試食し、規定の量が守られているか、変質してはいないか味などを検査することです。<案内板から>
網走刑務所裏門
刑務所の赤煉瓦門塀製作開始の大正8年に一番最初に着工した門です。
以来平成5年まで網走刑務所裏門として、受刑者が塀の外の作業場に出かけるときに通りました。
<案内板から>
旧釧路地方裁判所網走支部法廷復元棟
旧庁舎の取り壊しに際して、単独法廷合議室・合議法廷・仮監置室・拘留質問室の部分を移築復元したものです。
各部屋だけでなく、内部の備品なども実際に使用されていたものを展示しています。
<案内板から>
単独法廷
この法廷は、平成3年まで使用されていました。重罪以外の犯罪については単独法廷(1人の裁判官)で審理されました。
被告人に対する人定質問(じんていしつもん)がなされている場面が再現されています。
<案内板から>
合議法廷
この法廷は重罪事件を扱い、3人の裁判官によって審理されることから合議法廷と呼ばれています。
正面の裁判官席には、中央に訴訟を指揮する裁判長が、その両隣に陪席裁判官が着席しています。
検察官が証人尋問を行っている場面が再現されています。
<案内板から>
休泊所(きゅうはくしょ:別名「動く監獄」)

受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする場合は「休泊所」と呼ばれた仮小屋で寝泊まりしました。
札幌と網走を結ぶ中央道路の開削にあたり、明治24年4月から延べ1,000人以上の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。
<案内板から>
上の画像の右側建物内部。
2つ上の画像、左側建物内部。
現在の網走刑務所の建物が一部見えました。
旧網走刑務所二見ヶ岡農場

網走刑務所農園作業の先導的施設として明治29年に網走の西方丘陵地の「屈斜路外役所」として設置され、網走湖・能取湖の二つの湖を展望できる位置に建てられたので二見ヶ岡刑務支所として改名されました。
平成11年に移築復元されました。

<案内板から>
二見ヶ岡農場での作業風景が再現されていました。
画像奥の建物は「五翼放射状平屋舎房(ごよくほうしゃじょうひらやしゃぼう)」です。そちらへ歩みを進めます。
舎房のひとつ、第一舎です。舎房の格子のところから中を写すと次の画像です。
「中央見張」とは反対側から見た、第一舎内部です。
五翼放射状平屋舎房(ごよくほうしゃじょうひらやしゃぼう) 登録有形文化財

この舎房は明治42年の火災で焼失後、それまでの並列型に代わって、明治45年に再建された舎房です。
明治45年から昭和59年まで実際に網走刑務所で使用されていた獄舎で、昭和60年に移築復元されました。
形状は名前のように、中央見張りを中心に5本の指を放射状に広げたようになっています。

この建物の特徴は、少人数でも監視しやすいという利点があり、ベルギーのルーヴァン監獄を模したものと言われています。5棟のうち雑居房は収容定員3〜5人で126室あり、部屋の広さは6畳です。
独居房は収容定員1人で100室あり、部屋の広さは3畳です。
<案内板から>
では、中へ・・・。
この入口を入って、中央見張に立ち、第一舎から第五舎を見回すまでを動画で映してみました。
入るとすぐに「中央見張」があります。
中央見張から第一舎(第一舎は雑居房です)方向です。
向こうへ進んでみると、次の画像です。
ここから先が雑居房です。
雑居房の廊下側の壁は、「斜め格子」で等間隔に「スキ間」を置きながら作られているため(ブラインド方式)、廊下側からは部屋の中は見えますが、部屋の中からは廊下をはさんで向かい側の中は互いに見えないように作られています。
第一舎側から中央見張で、中央見張の反対側が第五舎です。
第四舎は独居房です。
独居房
「昭和の脱獄王」と呼ばれた「白鳥由栄(しらとりよしえ 1907年7月31日 - 1979年2月24日)も、この第四舎に収監されていました。
白鳥はここでも脱獄に成功しており、その様子が再現されています。
白鳥由栄(しらとりよしえ)が収監されていた第24房です。
ここだけは破られた状態で展示されていました。
再現された浴室。
煉瓦造り独居房
監獄内の規則を守らない者には食事の量を減らし、この窓の無い真っ暗な独居房で一定の期間生活させる罰がありました。
明治末期に建てられ、平成3年に移築されました。<案内板から>
敷地内の食堂で監獄食メニュー(600円)が出されていたので、
ちょっと早めですが、夕ご飯にしました。
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