【 朱鞠内湖 】

朱鞠内湖(しゅまりないこ)は、幌加内町(ほろかないちょう)の雨竜川(うりゅうがわ)上流に位置する人造湖です。
日本最大の湛水面積(広さ2,373ha)があるんだそうです。

<追記 2020年10月>
たまたま「笹の墓標展示館入口」の案内を見つけ、「旧光願寺本堂」にたどり着きましたが、それはアイヌ問題・主体思想などに関連する組織が関係しているもののようですね。
 ↓
2020/10/14 ア○ヌのことバラします。的場光昭先生に聞く。ア○ヌ問題。
<ユーチューブ 古是三春_篠原常一郎チャンネル>

(2011年8月23日訪問)
 
朱鞠内湖の地図です。
「赤○」は雨竜第1ダム(うりゅうだいいちだむ)で、このダムが雨竜川をせき止めることによって朱鞠内湖が形成されています。
「青○」は、「朱鞠内湖畔キャンプ場」です。
当日は、地図の右上から国道275号を南下しました。
10:01頃、国道275号を南下し、朱鞠内地区に向かっている途中に展望台がありましたが、そこにあった案内絵図です。
同上。
上の案内絵図があった展望台から写した朱鞠内湖です。
ズームです。
10:18頃、一番上の地図に「赤○」で示した、「雨竜第1ダム」近くの広場(少し高台になっています)に来ました。
そこから眺めた、朱鞠内湖です。
現地にあった案内絵図です。
2つ上の画像を写した所で、振り返って写しました。
石碑と展望台があります。
石碑は、殉職者慰霊塔です。
残念ながら、展望台入り口にはロープが張られていて、立ち入り禁止になっているようです。
今までの画像を写した広場から写した、雨竜第1ダム(うりゅうだいいちだむ)です。
広場の湖寄りから、湖を写しました。
北海道電力雨竜ダム総合管理所の入り口です。
入口の所から、ダムを写しました。
上の画像の右側、管理所の建屋です。
写っている道路は、雨竜ダム総合管理所へ通じています。
この道路を、画像右へ少し行ったところが、3つ上の画像です。
上の画像の左側です。
上の画像の左側です。
上の画像の手前に、何かの施設だったであろうコンクリートの塊が、時の流れを表していました・・・。
10:40頃、場所を移動して、一番上の地図の「青○」で示した「朱鞠内湖畔キャンプ場」に来ました。
岸辺から湖を写しました。
上の画像を写した所で、右を向いて写しました。
上の画像を写した所で、右を向いて写しました。
上の画像を写した所で、右を向いて写しました。
上の画像4枚のところ、ぐるっと映しました。
10:51頃、朱鞠内湖畔キャンプ場の後、雨竜第2ダムに行ってみようと思って向かったのですが、残念ながら通行止めになっていました・・・。
笹の墓標展示館入口
上の画像の後、同じ道を戻って、雨竜第1ダムへの三叉路を過ぎて200mほどのところに、この案内がありました。

「笹の墓標展示館」とは何だろう? なぜハングル文字の表記が?
旧光願寺本堂
案内の方向へ行ってみると、この建物(旧光願寺本堂)がありました。
旧光願寺本堂 案内板
上の画像に写っている、白い案内板です。
「旧光願寺本堂」だったのですね。
内部です。
上4枚の画像の近くにあった、案内板です。
これが、その像です。
像の背面に碑文があります。
碑文です。

この碑文はよく読まなければならない。

さっと読むと、自虐史観をそそる「強制連行された韓国・朝鮮人を犠牲にした悪い日本」というようになってしまう。

しかし、書かれていることを整理すると「数千人の日本人労働者と、3000人の韓国・朝鮮人が過酷な労働をして(させられて)、204人が亡くなり、そのうちの36人が韓国・朝鮮人だった。」ということだ。

多くの人々が犠牲になっているが、割合からすれば韓国・朝鮮人が多いわけではない。

また「強制連行」という言葉が書かれているが、「数千人の日本人と、3000人の韓国・朝鮮人」のうちどれだけがそうだったのだろう?。

日本人労働者も、生きるために身を賭してこの地に来た人や騙されて連れてこられた人もいただろう。
韓国・朝鮮人も日本人も同じような状況であったことも考えられるのではないか?。

現在も、「強制連行され、労働させられた。」と日本政府を訴える人がいるが、どうなんだろう・・・?。
従軍慰安婦問題もそうだけれど、ほとんど全てが強制連行なのか、苦しい経済状況の中で仕方なく志願したのか?。

また、あの当時日本だけがそういうことをしていたわけではない。

ソ連・ロシアによるシベリア抑留と強制労働、韓国軍・アメリカ軍慰安婦には触れず、自虐史観を煽るというのは如何なものかと思う。

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