【 足羽山・六呂瀬山古墳 】


福井市の足羽(あすわ)山には、足羽(あすわ)神社と継体大王石像があります。
足羽神社は継体大王を主祭神とする古社だそうです。

六呂瀬山(ろくろせやま)古墳群は国の史跡に指定されています。
 
足羽神社への石段。
残念ながら、改修工事中でした・・・。
継体大王(天皇)石像は明治17年の建立です。

日本書紀によると、継体大王(天皇)は、近江の国の彦主人王(ひこうしおう)と越の国の振姫(ふりひめ)の間に生まれたのだそうです。
幼くして父をなくしたことから、母(振姫)とともに母の実家のある越前の国の高向(現在の福井県坂井市)に戻り、即位までの50年余りを越の国で過ごしたのだそうです。
継体大王(天皇)石像が建っているのは、福井市の足羽(あすわ)山にある公園です。
この小山状の上に建っていますが、これも古墳(円墳)だそうです。
六呂瀬山(ろくろせやま)古墳群は、九頭竜川の右岸、丸岡町上久米田(かみくめだ)の六呂瀬山々頂に位置する前方後円墳2基と方墳2基からなる古墳群である。
 いずれの古墳も丘陵尾根上(きゅうりょうおねじょう)に築造されているために自然地形の制約を受けているが、その立地・規模・内容などから、4世紀後葉(こうよう)から5世紀前葉(ぜんよう)における大首長の墓であったものとみられる。
北陸地方の古墳時代の解明に欠くことのできないものであり、当時、北陸地方に栄えた越国(こしのくに)の形成とその発展を知る上で貴重である。平成2年5月16日に国史跡に指定された。
(近くにあった案内板から)
立ち入り禁止でした・・・。
上の看板の脇に古墳群へ通じると思われる小道がありました。
モニュメント。
古墳群周辺位置図

古墳の規模
1号墳:全長140m、後円部径78m、同高13m、前方部幅m、同高11m(北陸最大の前方後円墳)
2号墳:頂径6.5m×7m、裾径14m×16m、高2.2mの方墳
3号墳:全長85m、後円部径67m、同高11m、前方部幅60m、同高mの前方後円墳
4号墳:頂径10m×6m、裾径16m×13m、高2.7mの方墳     (近くにあった案内板から)
整備計画の鳥瞰図(近くにあった案内板から)。


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