【 門司港レトロ 】

門司港駅〜門司第一船溜まり(もじだいいちふなだまり)周辺を散策しました。
この周辺(もっと広い範囲)は、「門司港レトロ」として観光スポットになっています。

2008年8月24日訪問
 
九州鉄道記念館
門司港駅の近くにある、九州鉄道記念館です。
8:25頃の訪問なので、まだ開館していませんでした。
九州鉄道記念館入口付近にあった「旧0哩標跡」
この場所は、九州鉄道が明治24年に門司駅を開業した時、九州鉄道(鹿児島本線)の起点と決めたところです。<案内板から>
旧JR九州第一庁舎です。
旧門司三井倶楽部
大正10年(1921)竣工、旧門司三井倶楽部(国指定重要文化財)です。

三井物産門司支店の社交倶楽部として、現在の門司区谷町に建設されました。
設計者は松田昌平で、桟橋通りを隔てた向かいの旧JR九州第一庁舎の設計者は弟の軍平です。
竣工直後の大正11年にはアインシュタイン博士夫妻も宿泊している。
この建物は木造2階建ての本館(洋館)と平屋の付属屋(和館)から成っている。<案内板から>
第一船溜まり沿いにある「海峡プラザ(おみやげ物を販売している)」の前にあったバナナマン。
2人組の芸人にもそのような名前のがあったような・・・・。
画像右側・中ほどに写っているのが、下でご案内する「ブルーウイングもじ」です。
門司港はバナナの叩き売りの発祥の地だそうです。
国際友好記念図書館付近から見た、「第一船溜まり」です。
この画像で、左方向が「海峡プラザ」で、右方向が「ブルーウインブもじ(下のほうでご案内)」です。
旧門司税関。

明治45年(1912年)に門司税関庁舎として建てられ、15年間使われましたが、昭和2年(1927年)に税関の新庁舎が西海岸通り(現在の門司港湾合同庁舎地)に移されたため、その後民間に払い下げられて事務所や倉庫に使われていました。
この「旧門司税関」は、赤レンガ造りの木骨構造で、ルネサンス様式の美を追求した極めて優れた建物であり、しかも、明治・大正・昭和の門司港の変遷を見守ってきたシンボル的存在であったことから、北九州市が取得し、平成6年(1994年)に修復しました。<案内板から>
北九州市立国際友好記念図書館。
大連と北九州市の友好都市締結15周年を記念して、大連市にある歴史的建造物を複製したものです。1994年12月に竣工しました。<案内板から>
海峡プラザと反対側、第一船溜まりと関門海峡が通じている水路の上に架かっている「ブルーウインブもじ」です。
では、渡ってみます。
「ブルーウイングもじ」は西海岸地区再開発事業の一環として、門司第一船溜まり周辺の回遊性を高めるために、門司港の新浜地区と西海岸地区の間に設けられた歩行者用の可動橋です。<案内板から>
施設概要
形式:跳開式可動橋(両開き、、非対称)、橋格:歩道橋、全長108.1m、うち可動部分:親橋24.1m子橋14.4m

開閉の仕組み

−親橋−
@主塔塔頂の滑車にかけられたワイヤーロープを電動モーターにより巻き取ります。
A動滑車の原理により主塔が陸側に引っ張られ、主塔と一体となっている桁がテコの原理により上がります。
−子橋−
@橋台に設置した油圧装置が、子橋の桁端下部の突起を押します。
Aテコの原理により、子橋の桁が持ち上がります。

開橋時間 10:00 11:00 13:00 15:00 16:00
<案内板から>
親橋側です。画像を見て橋の向こう側が関門海峡側です。
なかなかロマンチックな場所ですし、「恋人の聖地」、良いのではないでしょうか!。
第一船溜まり付近から眺めた、関門海峡と関門橋です。
「ブルーウインブもじ」を背にして、「関門連絡船のりば」方向の画像です。
旧大阪商船門司支店です。
大正6年(1917年)建築、設計者は河合幾次です。
この建物は木造二階建(一部レンガ型枠コンクリート造)で、屋根に設けられた大きなアーチを配した隅角部の窓と、その上部の八角形の塔屋は、ドイツ・オーズトリアで開花したゼツェシオンの影響を受けたと言われている。
当時としては、化粧レンガの色鮮やかさとヨーロッパ風の塔屋を持ったこの建物は、他を寄せ付けない門司港の象徴的な建物であった。<案内板から>
旧大阪商船門司支店の内部(1階)は休憩室になっています。
何軒かで出しているようですが、喫茶ドルチェで焼カレーを食べることにしました。
門司港レトロ 焼カレー
11:58頃、カレーが出てきました!。
おいしゅうございました!。


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