【 飯盛山 】

白虎隊士自刃の地である飯盛山を訪問しました。
2007年4月30日
飯盛山参道入口
飯盛山参道
白虎隊記念館の脇の石段を、あと2段階上りきると・・。
白虎隊士の墓所
白虎隊士の墓所がある広場へ出る。
白虎隊士の墓
白虎隊士の墓
明治元年(1868)の戊辰戦争において飯盛山で自刃した白虎隊士19名の墓。
白虎隊士の殉難忠節に対し、9代藩主松平容保(かたもり)が詠んだ弔歌を現河東町八田野の篤志家八田宗吉氏が石に刻んで建てた碑だそうです。
「幾人の涙は石にそそぐとも その名は世々に朽じとぞ思う」
ローマ市寄贈の碑
(同じ広場にある)ローマ市寄贈の碑

昭和3年にローマ市民から送られたもので、円柱の石はベスビアス火山の噴火で埋没したポンペイの廃墟から発掘した古代宮殿の柱。
基石表面にイタリア語で「文明の母たるローマは、白虎隊勇士の遺烈に、不朽の敬意を捧げんがため古代ローマの権威を現すファシスタ党章の鉞を飾り永遠偉大の証たる千年の古石柱を贈る。」と、裏面に「武士道の精神に捧ぐ」と刻まれてあったが、第2次世界大戦後占領軍の命により削り取られた。

(案内板から)
裏面を写してみました。
フォン・エッツ・ドルフ氏寄贈の碑
昭和10年6月ドイツ国(現ドイツ連邦共和国)大使館政治担当外交官HassoVonEtzdorf氏が、白虎隊精神を賛美して贈った碑文と十字章。
碑文訳「会津の若き少年武士に贈る」
第2次世界大戦後アメリカ進駐軍の手によって碑面を削り撤去されたものを昭和28年再刻のうえ復元されたもの。
(案内板から)
飯沼貞雄の墓
(広場から自刃の地に向かう途中にある)飯沼貞雄の墓碑
飯沼貞吉(後に貞雄と改めた)少年は飯盛山で篠田儀三郎らと自刃をするが、虫の息で生きていたのを足軽隊(白虎隊は士中隊、寄合隊、足軽隊の三つに分かれている)の母親に救われた。白虎隊の自刃者の中で唯一生き残った人物であり、白虎隊の実録も飯沼貞雄氏によって知ることができた。
氏は後に逓信省の技師となり、仙台逓信局工務部長に進み、昭和6年に78歳で仙台市において没した。
昭和32年9月戊辰戦争90年祭に、財団法人前島会仙台支部の手によってこの場所に墓碑と顕彰碑が立てられた。
白虎隊士自刃の地
自刃の地。
白虎隊士自刃の地
自刃の地に建てられた碑。
左の碑は大正6年8月23日に建てられたもの。
右の碑は、(碑の裏面に刻まれた説明文によると)「明治33年8月建立の旧碑頭部の亀裂はなはだしく崩壊寸前につき鶴ヶ城築城600年にあたる昭和59年6月に再建」されたもの。
中央の白虎隊士像が望んでいる方向が鶴ヶ城です・・・。
その方向をズームで写してみました。
画像中央、赤白の塔の向こうに再建された鶴ヶ城が見える。


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