兼六園に向かう途中「石川県立歴史博物館」と「金沢神社」を通りました。 (2009年5月8日訪問) |
石川県立歴史博物館です。 煉瓦の建物は3棟並んでいて、手前から1棟・2棟・3棟です。 |
時間の関係で入館しませんでしたが、レンガ造りの外観を見るだけでも価値あり!。 この画像は中央の棟(2棟)です。 |
2棟の側面です。 |
2棟と3棟(画像右側)の間には「辰己用水石管の再生」のモニュメント 辰己用水は、寛永9年(1632年)3代藩主前田利常が小松の町人板屋兵四郎に命じて造らせたもので、犀川上流から水路を開き、小野立を経て、わが国最初の逆サイフォンの技術を駆使し金沢城へ揚水したものです。 全長10Kmあまりの3分の1がトンネルという難工事でしたが、1年足らずで完成しており、またその掘削事業は加賀藩の秘事とされていました。 導水管は当初木樋でしたが、江戸後期以降には一部を石管に取り替えています。 石川県立歴史博物館では本館完成にあたり、設計を京都大学教授川崎清博士に依頼し、辰己用水に使用された石管の再生と、豊に用水を流れる水を表現して記念の造型としました。ここに使われている縁石及び瓦は赤煉瓦棟創建時の用材です。<案内板の文章> |
金沢神社の鳥居です。 この鳥居をくぐって右に曲がると次の画像です。 |
金城霊沢(きんじょうれいたく) 昔、芋堀藤五郎(いもほりとうごろう)がこの泉で砂金を洗い「金洗沢(かなあらいのさわ)」と呼ばれていました。 これが金沢の地名の起こりです。<傍にあった案内板の説明> |
上の画像の左側に写っているのが、これです。 そばに「鳳凰山(ほうおうざん)」と記された立て札が立っていました。 |
上の画像を写した辺りから、金沢神社方向です。 |
金沢神社です。 |