【 兼六園 】
金沢の兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ「日本三名園」の一つです。

兼六園は江戸時代の代表的な林泉回遊式庭園です。金沢城に面した傾斜地に5代藩主綱紀(つなのり)が延宝4年(1676年)に、別荘「蓮池御亭(れんちおちん)」を建て、その庭を蓮池庭(れんちてい)と呼びました。それが兼六園の始まりです。
その後の藩主たちによっても造営が続けられ、13代藩主齊泰(なりやす)が現在の兼六園を完成させました。
園名は、文政5年、白河楽翁公(しらかわらくおうこう)によって、「宏大(こうだい)、幽邃(ゆうすい)、人力(じんりょく)、蒼古(そうこ)、水泉(すいせん)、眺望(ちょうぼう)」の六勝(ろくしょう)を兼備するところから、兼六園と命名されました。
<チケットの裏面の案内文から>

(2009年5月8日訪問)
現地にあった案内図です。
8:06、随身坂口から入ります。
随身坂口を入って少し進むと、右側に「成巽閣(せいそんかく)」へ通ずる門があります。
まだ開館していないようです。
花見橋付近からの眺めです。
画像左の立て札の所が下の画像、「根上松(ねあがりのまつ)」です。
根上松(ねあがりのまつ)
13代藩主前田齊泰(なりやす)が、稚松を高い盛土にお手植えし、徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられています。<案内板から>
日本武尊の像(根上松の斜め反対側にあります。)
明治10年(1877年)西南の役で戦死した郷土出身の将兵を祀った記念碑です。
銅像の身長5.5m、台座の高さ6.5mで、明治13年(1880年)に建てられました。<案内板から>
兼六園菊桜の付近から、渡ってきた「花見橋」を振り返りました。
七福神山(しちふくじんやま)
文政5年(1822年)に竹沢御殿から眺めた築山(つきやま)です。自然石を、左から順に恵比寿、大黒天、寿老人、福禄寿、布袋、毘沙門天、弁財天に見たてて配しています。別名福寿山ともいいます。<案内板から>
雁行橋((がんこうばし・かりがねばし)
11枚の赤戸室石を使って、雁が列をなして飛んでいく様をかたどった「雁行橋」です。
石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われ、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、石の磨耗が著しいため、現在は通行できなくなっています。<案内板から>
別角度で雁行橋です。
霞ヶ池(かすみがいけ)
兼六園のほぼ中心部に位置し、園内で最も大きな池で、面積は約5800uです。
深さは最も深いところで1.5mあります。 <案内板から>
徽軫灯籠(ことじとうろう)と虹橋(にじばし) 、その向こうの池は霞ヶ池です。
有名な灯籠ですね。その形が、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ていることから名が付いたと言われています。
手前の橋は虹橋で、別名琴橋ともいいます。
兼六園を代表する景観です。<案内板から>
徽軫灯籠の高さは2.67mです。
瓢池(ひさごいけ)
昔このあたりを蓮池庭(れんちてい)といい兼六園発祥の地です。池は瓢箪形をしているので、後に瓢池と名付けられました。前方の翠滝(みどりたき:霞ヶ池から流れ出て、瓢池に注ぎ込みます。)は安永3年(1774年)につくられたものです。<案内板から>


PAGE TOP