平泉町の「高館義経堂(たかだち ぎけいどう)」です。
高館は、頼朝に追われ藤原秀衡を頼って奥州に落ち延びた義経の住まいがあったところと言われ、文治5年(1189)閏4月30日に秀衡の子泰衡に襲われて妻子とともに自害したのもこの地と伝えられています。
2005年7月17日に訪問しました。
義経堂参道入り口。 |
奥の細道300年、平泉芭蕉祭記念句碑 |
「夏草や兵共が夢の跡」 松尾芭蕉は元禄二年(1689)に、「奥の細道」の旅で高館に登り、平泉の栄華や義経を思い、有名なこの句を残したと言われています。 |
北上川に合流する衣川の流域あたり。 衣川流域は前九年・後三年の役の戦いが繰りひろげられたところで、弁慶立往生の故事でも知られている。 |
高館宝物館にあった仁王像。 |
高館宝物館内、明治天皇が判官館(高館義経堂)にお立ち寄りになる旨を示した |
義経堂への石段。 |
義経堂。 |
義経像。 |