観光バスで鹿児島県道81号を走りながら、その沿線にある「ソテツ群生地」「島のブルース歌碑」「西郷松」といった龍郷町(たつごうちょう)の景色を楽しみました。 (2014年4月25日訪問) |
10:53頃、観光バスの車窓です。 |
10:54頃、安木屋場(あんきやば)のソテツ群生地です。 ソテツの本数は約6万本とも言われているそうです。 |
ズームです。 |
上の画像を写した場所から、下の画像の場所に向かう途中の車窓です。 |
11:02頃、「島のブルース歌碑」がある所に着きました。 |
左が「島のブルース歌碑」で、右はその作曲者である渡久地政信(沖縄生まれ龍郷育ち)の顕彰碑です。 |
碑の背面です。 |
碑を背にして海を写しました。 |
上の画像の右側です。 |
上の画像の右側です。 |
上の画像の右側です。 |
上の画像4枚のところ動画です。 |
11:11頃、西郷松がある所に来ましたが、あった所と言うのが正しいようです。 「西郷翁上陸之地」の石碑もあります。 時間の関係でバスから下車できませんでした・・・。 |
ズームです。 その松は、 西郷隆盛が龍郷へ流刑になった際に、その船のとも綱を結んだといわれる松です。 龍郷町のサイトには「 歴史を見守ってきた幹回り約4メートルの老松は、病気や塩害、白アリによる被害によって、平成23年6月に「立ち枯れ」と診断されました。 現在は、枝が全て切り落とされ、幹の部分が残っています。」とありますが、現在では幹の部分も切り倒されています。 |
さらにズームで西郷松の碑です。 Wikによれば「西郷には3度の結婚経験がある。 2度目は奄美大島に潜居させられた際、島の名家であった龍家の佐栄志の娘・愛加那(あいがな、意味は愛子)との結婚であった。35歳の安政7年(1860年)1月2日に菊次郎(後の京都市市長)・文久2年(1862年)にお菊(のち菊子、大山巌の弟と結婚)の二人の子供をもうけた。文久元年(1861年)末に、鹿児島に帰る際、島妻は鹿児島へ連れ出せない規則があったので別れた。」と解説しています。 ちなみに田端義夫が歌った新民謡「島育ち」の歌詞は次のようになっています。 今まで事情は知らなかったのですが、田端の歌声のせいもあってか、単純に良い歌だと思っていました。 このような愛加那と西郷の係わりを踏まえると・・・、愛加那の気持を表現した歌なんだというのが分かりますね。 「島育ち」 歌手:田端義夫 作詞:有川邦彦 作曲:三界稔 赤い蘇鉄の 実も熟れる頃 加那も年頃 加那も年頃 大島育ち 黒潮黒髪(くるしゅくるかみ) 女身愛(うなぐみぬかな)しゃ 想い真胸に 想い真胸に 織る島紬 朝は北風(にしかぜ) 夜は南風 沖の立神ゃ また片瀬波 夜業(よなべ)おさおさ 織る筬(おさ)の音 せめて通わそ せめて通わそ この胸添えて |