源頼朝の墓と白旗神社です。
明治になると、頼朝が葬られた法華堂は白旗神社に改められ、頼朝を祀っています。
( 2009年7月18日訪問)
画像向こう側の石段手前を左に曲がると、下の画像の白旗神社です。 |
頼朝を祀る白旗神社です。 この地はもと源頼朝の居館(幕府)の北隅で持仏堂があり、石橋山の合戦にあたって髪の中に納めて戦ったという小さな観音像が安置され、頼朝が篤く信仰していました。 正治元年(1199)1月13日頼朝が亡くなるとここに葬り、法華堂と呼ばれ毎年命日には将軍が参詣しました。 その後鶴岡八幡宮の供僧「相承院」が奉仕して祭祀を続けましたが、明治維新に際し寺は白旗神社に改められ、頼朝を祭紳として今日に至っています。<案内板から> |
では、石段を上ります。 |
上りきったところから、石段を見下ろしています。 ここで振り向くと、 |
国指定史跡、頼朝の墓があります。 |
現在建っている塔は、島津藩主島津重豪(しまづしげひで)が整備したものと言われています。 <案内板から> |
別角度です。 |
国の史跡には、昭和2年6月14日に指定されています。<案内板から> |
別角度です。 |