【 高知駅周辺・はりまや橋 】

はりまや橋は、時代とともに何度も架け替えられ、現在は三種類の橋が架かっている。
東側から「明治期の鋳鉄製の橋」「国道32号に架かる御影石の橋」「江戸時代の太鼓橋を模した赤い欄干の橋」です。


2006年9月11日に訪問しました。

高知駅から徒歩で約10分で、はりまや橋に行けます。
明治期はりまや橋

<明治期はりまや橋の由来>
藩政初期、豪商播磨屋と富商櫃屋が、互いの往来のために堀に架橋した木造りの橋が、後に「はりまや橋」と呼ばれるようになります。
時を経た、明治41年10月、はりまや橋は鋳鉄製の橋に架け替えられます。しかし、大正末期から昭和の初期、高知駅から南の新道の建設に伴い鋳鉄橋は撤去され「はりまや橋」も時代の変遷にともない、その姿を変化させていきました。
ここに架かる橋の親柱は、鋳鉄橋架橋当時のもので、長い間心ある人によって保管されていました。
後に山翆園の庭に設置されているところを、当園のご好意により、ここに提供して頂き、架橋当時の姿を復元するに至りました。(橋のそばにあった案内板から)
国道32号に架かる、御影石の橋。
江戸時代の太鼓橋を模した赤い欄干の橋。
赤い欄干の橋、別角度です。
それぞれのはりまや橋の位置関係は、こんな風です。
手前が江戸時代の太鼓橋を模した赤い欄干の橋、その向こうが国道32号の御影石の橋、その向こうが明治期の鋳鉄製の橋です。
周辺は、はりまや橋公園として整備されている。
連結した路面電車です!。
高知城から竜馬生誕地に向かう途中(500mほどの所)にありました、出雲大社土佐分詞です。
竜馬の生まれたまち記念館(入館はしませんでした。)、出雲大社分詞から200mほどのところ。
坂本竜馬生誕地の碑、出雲大社分詞から150mほどのところ。
別角度(隣は病院ですね)。
上町一丁目停車場から土佐電鉄の路面電車に乗って後免町駅まで行きます。
そこで、土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線に乗り換えて、のいち駅まで行き、竜馬歴史館に向かいます。

PAGE TOP