【 熊本城 】

熊本城(くまもとじょう)は熊本市にあった城で、別名を銀杏城(ぎんなんじょう)と言いました。
西南戦争の際、明治10年(1877年)2月19日に出火し、天守閣と本丸御殿(ほんまるごてん)一帯が全焼しました。
現在の天守閣は昭和35年(1960年)に、鉄筋コンクリートで外観復元されたもので、天守閣内部は熊本博物館分館になっています。

(2010年8月18日訪問)
16:17頃、熊本城に向かう途中、市内の路面電車。
16:29頃、熊本城近くの交差点のところに、
豊臣秀吉が朝鮮を攻めた文禄・慶長の役で朝鮮へ出兵し活躍した加藤清正の像です。
16:34頃、二の丸駐車場に車を置いて、城へ向かいます。
画像左方向、戌亥櫓(いぬいやぐら)です。
空の雲でお気づきかもしれませんが、実は、熊本城に着いた頃から雷鳴と風が強くなっています。
元太鼓櫓越しに、向こう側に見えているのは、左から「宇土櫓(うとやぐら)」「小天守」「大天守」です。
西大手門です。
高いほうの櫓は宇土櫓(うとやぐら)です。
画像右下が、下の画像の入場券売り場方向です。
画像左は入場券売り場、門は「頬当御門(ほほあてごもん)」と名づけられています。
門をくぐったところから、大天守が見えます。
大天守です。
頬当御門側から天守に近づいて写しました。
大天守(右側)と、小天守(左側)です。
名古屋城などもそうですが、鉄筋コンクリートで復元された物は、残念ながら近づくと興ざめです・・・。
上の画像の小天守の対面側に、この宇土櫓(うとやぐら)があります。
宇土櫓の案内板です。
五郎の首掛石(くびかけいし)です。
案内板。
下から眺めた大天守。
今までは大天守が小天守の右に見えていましたが、この通路を通って反対側に行くと、
このように見えます。
ここも韓国人が多かった・・・。
私はもう行くことは無いな。
17:04頃、熊本城を後にして次の場所に向かう途中、雷雨に見舞われました。

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