| 山鹿市にある、チブサン古墳・オブサン古墳、鍋田横穴群を訪れました。 チブサン古墳は、6世紀初めの古墳時代に築造された前方後円墳で、国の史跡に指定されています。 オブサン古墳は、チブサン古墳の北西約200mに位置する直径約22m、高さ約4mの突堤付き円墳です。 鍋田横穴は、古墳時代の最後(7世紀)を飾る豪族達の墓といわれ、国指定史跡になっています。 (2010年8月19日訪問) | 
| 10:28頃、古墳の手前に、古墳を解説する施設がありました。 | 
|  | 
| 上の画像に写っている石人(複製)を解説した案内板。 | 
| 案内板にあるように、西側にはオブサン古墳があります。 また、これらの位置関係を知らずに通ってきた、鍋田横穴群が南600mほどのところにあります。 | 
| 現在地にあった平面図。 | 
| 墳丘測量図。 | 
| チブサン古墳の石屋形。 <案内板の写真> | 
| 石室実測図。 | 
| 石室の模型です。 | 
| チブサン古墳です。 | 
| 近づきました。 | 
| 石室の入口。 | 
| 別角度です。 | 
| 上の画像の左側。 | 
| 別角度です。 | 
| オブサン古墳に行く途中です。 | 
| 時間が無くて見ることは出来ず、案内略図を写しただけです。 | 
| 10:44頃、オブサン古墳は、チブサン古墳の北西約200mに位置する直径約22m、高さ約4mの突堤付き円墳です。 ここから、右に回り込みながら2枚写します。 | 
| 別角度です。 | 
| 別角度、石室入口側です。 | 
| 近くにあった石室の構造図です。 | 
|  | 
| 石室の説明文です。 | 
| 前庭(ぜんてい)から見た羨道(せんどう)です。 | 
| 羨道から写した前室(ぜんしつ)、前室と玄室(げんしつ)の境の袖石(そでいし)・框石(かまちいし)です。仕切りの向こうが玄室です。 | 
| 玄室側です。 | 
| 突き当たりの床は死床(ししょう)です。 この画像の右下部分が次の画像です。 | 
| ここも死床です。 | 
| 石屋形です。 | 
| 古墳のそばに、古墳の案内施設があります。 | 
| 閉塞石(へいそくせき) オブサン古墳を閉塞した墓石で、古墳の整備時に移したものです。 前室の閉塞石は破損していたので接合復元しました。これには西南戦争時の弾痕が認められます。 左は前室の閉塞石、右は玄室の閉塞石です。 <案内板の記述> | 
|  | 
| チブサン古墳の概要。 | 
| 時間が前後しますが、ここから下は鍋田横穴です。 10:15頃、国道443号沿いの鍋田横穴群です。 | 
| 肥後の古墳時代の最後(7世紀)を飾る豪族達の墓といわれ、国指定史跡になったのは古く、大正11年でだそうです。 | 
| ズームです。 | 
| 近づいて写しました。 | 
| 穴の内部です。 ちなみに、私は国道443号沿いの横穴を見ただけで撤収してしまいましたが、帰宅後地図を確認すると、このそば(国道から少し入ったところ)にも沢山の鍋田横穴群があったようです・・・。 |