東寺(教王護国寺)は真言宗の総本山です。
金堂・五重塔・大師堂などの建物や、木造五大明王像・木造四天王立像などの仏像の多くが国宝に指定されています。
京都は冬の時期に、普段公開していないところを特別に拝観できるように配慮していたりしますが、東寺でも五重塔の内部を公開していました!。
(2008年1月14日訪問)
南大門。 |
南大門を入ったところから、五重塔の眺め。 |
南大門から金堂。 |
北西側から、講堂(手前)と金堂。 講堂(重要文化財:室町時代)は、天長2年(825)弘法大師によって着工され、承和2年(835)頃には完成しました。 その後台風や地震で大破し、たびたび、修理を重ねてきましたが文明18年(1486)の土一揆による戦火で焼失しました。 現在の講堂は延徳3年(1491)に再興された建物で、旧基壇の上に建てられ、様式も純和様で優美な姿を保っています。 (パンフレットから) |
拝観受付の所にあった案内板。 それぞれの内部は、当然のことながら撮影不可でしたが、良いものを見ることが出来ました!。 |
拝観受付を入ったところから五重塔。 |
瓢箪池と五重塔。 |
東側から見た、瓢箪池と金堂(左側)と講堂(右側)。 |
東大門(重要文化財) 鎌倉時代創建、年代は未詳。現存の建物は建久9年(1198)文覚上人の大勧進によって再建された。 建武3年(1336)6月30日、新田義貞が決死の覚悟で東寺の足利尊氏を攻め、危機に陥った尊氏は門を閉めて、危うく難を逃れることができた故事により「不開門(あかずのもん)」とも呼ばれている。のち慶長10年に豊臣秀頼が大修理を加えたものと伝えられる。(案内板から |
五重塔。 東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は天長3年(826)弘法大師の創建着手に始まりますが、しばしば火災を受け焼失すること4回におよんでいます。現在の塔は寛永21年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。(パンフレットから) |
塔の北東側。第一層の屋根を邪気が支えている。 |
別角度で、塔の北東側。 当日は五重塔の内部を見学できました。 須弥壇下の心柱の色彩が少しずれています。これは心柱が屋根を突き上げてしまい、それを直すために元禄5年(1692)、一尺五寸(約50cm)ほど切り下げたためです。 心柱が突き上げるのは年を経ると多くの部材で積み上げられた塔身は乾燥で収縮するが、独立した心柱は収縮しないからです。(パンフレットから) |
塔の北西側の邪気。 |
ズームで写した邪気。 |
金堂(国宝 桃山時代)。 金堂は東寺一山の本堂で延暦15年(796)に創建されたと伝えられています。 文明18年(1486)片桐且元を奉行として再興させたもので、慶長8年(1603)に竣工しました。 (パンフレットから) |
食堂。 |
大師堂(国宝:室町時代) 弘法大師の住房で、大師の念持仏、不動明王(秘仏)が安置され不動堂とも呼ばれていました。 康歴元年(1379)焼失しましたが、その翌年には再建され、さらに10年後の明徳元年(1390)には北側に大師像を拝するための礼堂と廟を加え現在の姿になりました。(パンフレットから) |