【 石井閘門(いしいこうもん) 】

明治政府が近代港建設を目指し、大久保利通の指導のもとに計画した「野蒜築港」(のびるちっこう)に関連して、北上川舟運と野蒜港を内陸水路で連結しようと掘削され、明治14年に完成したのが北上運河です。
石井閘門(いしいこうもん)は運河と北上川の分岐点に建設された、わが国初の煉瓦積み洋風建築で、明治11年10月8日に起工式が行われ、明治13年7月に完成しています。
明治17年の台風によって野蒜築港は挫折失敗し、北上運河の航行も衰え、鉄道・道路の整備による物流の変化により役目を終えましたが、現在は「日本の近代化遺産」のひとつとして北上川・北上運河のシンボルとなっています。
<現地にあった案内板から>

(2009年5月24日訪問)

現地にあった案内図です。
閘門の上を横切っているのが、北上運河石井閘門橋です。
旧北上川から石井閘門への分岐点、画像左方向が石井閘門です。
この付近から写した閘門の画像が次です。
旧北上川方向から写した閘門です。
次の画像への位置関係ですが、この画像左上に写っているレンガの構造物が次の画像に写っています。
石井閘門を紹介した碑で、その内容は、
この画像のとおりです。ちょっと見にくいですがご容赦を!。
碑の付近から旧北上川側の水門と、その向こう側に旧北上川の流れ(画像右側が下流方向)です。
場所を移動して、旧北上川上流右岸側から写した閘門です。
2つ上の画像の碑は、この画像では上部左付近に写っています。
現地の案内板です。明治21年5月撮影となっていました。
北上運河石井閘門橋の上から写した、旧北上川側の水門です。
同じ場所で振り返って写した、北北上川運河側の水門です。
北上運河石井閘門橋の下から写した、旧北上川側の水門です。
同じ場所で、北北上川運河側の水門です。
北北上川運河側の水門です。ここからちょっと左に目を移すと、
水位調節のための穴かな・・・?。
水門を開閉するには、このハンドルを回すようです。
北北上川運河側の水門です。
北北上川運河側から写した水門です。
北北上川運河側の水門から、北上運河石井閘門橋方向です。
同じ場所で振り返って、北北上川運河です。運河はここから始まります。
この画像上部に写っている橋(中里新橋)の上から写したのが、次の画像です。
中里新橋の上から写した石井閘門です。
ズームです。

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