【 塩竃神社 】

塩竃市にある塩竃神社です。

塩竃神社は東北鎮護・陸奥国一宮として、朝廷を始め庶民の崇敬を集めて今日に至りました。
創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記されていて、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。
奈良時代に国府と鎮守府を兼ねた多賀城が塩竃神社の西南5km余の小高い丘(現在の多賀城市市川)に設けられましたが、その精神的支えとなって信仰されたと考えられます。(案内板から)

2008年6月14日訪問

境内案内図。
手前側から東神門に通ずる東参道(裏坂)と、左上楼門(随身門)に通ずる表参道(表坂)の2つの参道があります。
上の案内図には出ていませんが、東神門へ通ずる参道の途中にあった石鳥居。
東神門。
東神門の下から末社方向。
上の画像の石畳の所から振り返って舞殿。
唐門。
唐門とその向こうに拝殿。
拝殿。
拝殿の(向かって)右側から見た拝殿の後ろ側。
拝殿の後ろには「左右宮」、その後に「左宮本殿」(向かって右側)と「右宮本殿」(向かって左側)が並んで建っている。
左宮には武甕槌神(たけみかづちのかみ)を、右宮に経津主神(ふつぬしのかみ)を祀る。
拝殿の(向かって)左側から「左右宮」と「右宮本殿」。
別院拝殿。
別院拝殿内部。
文治の燈籠
元禄2年5月9日(陽暦6月25日)朝、芭蕉は塩竃神社に詣でこの燈籠を見る。扉の碑文に「文治三年七月十日和泉三郎忠衡敬白」とある。
「・・・・神前に古き宝燈あり。・・・五百年来の俤(おもかげ)、今目の前に浮かびてそぞろ珍し。かれは勇義忠孝の士なり。・・・・」と奥の細道に綴った。(案内板から)
銅鐵合製燈籠
文化年間(1814年)仙台藩において蝦夷地警備の命を受けて出役、無事帰還の報賽(ほうさい:お礼参り)として藩主伊達周宗(ちかむね)から寄進されたもの。(案内板から)
表参道の途中から見た表参道の石鳥居。
楼門(随身門)
塩竃神社に隣接する志波彦神社(しわひこじんじゃ)の鳥居。
志波彦神社
志波彦神は、もとは宮城郡岩切村(仙台市岩切)の冠川の畔に鎮座し、「延喜式」に収められている陸奥国百社の明神大社であったが、明治4年5月に国幣中社となり、明治7年12月24日に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されたのだそうです。

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