【 鵜戸神宮(うどじんぐう) 】

日南市にある鵜戸神宮(うどじんぐう)です。
旧社格は官幣大社で、豊玉姫が鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)を産んだ地であるという伝承もあるそうです。

鵜戸神宮本殿は、鵜戸崎の日向灘に面した岩窟内に建てられています。
本殿創建の年代は不詳ですが、社伝によると崇神天皇の代に創建し、桓武天皇の勅命により、光喜坊快久が神殿及び仁王護国寺を再興したと伝えています。中世には、「鵜戸六所大権現」、江戸時代には「鵜戸山大権現」として日向国内外から厚い信仰を得ていました。
現在の本殿は正徳元年(1711)に飫肥藩5代藩主伊東祐実が改築したものを、明治23年(1890)に大修理を行い、さらに昭和42年(1967)に修理したものです。
平成9年度(1997)には屋根や内装等の修理が行われました。このように幾度の改修を実施したものの、岩窟内に見事に収めた権現造風の八棟造は、往時のままであり、その文化的価値は高いです。
(日南市教育委員会の案内板から)

2008年8月22日訪問
 
9:33頃、鵜戸神宮駐車場に到着しました。
駐車場付近の鳥居と参道です。
案内図です。
神門(向こう側に見えるのは楼門)です。
楼門です。
天皇稜を示す宮内庁の看板と似ていますが、宮内庁のそれには「宮内庁」と記されているので、それとは別ものなんだと想像します。
上の案内図にあるように背後の山全体が陵ということのようです。
稲荷神社への参道。
神橋(玉橋・霊橋・鵜戸の反橋とも呼ばれる)。
このお先は急な石段になっていて、かつては橋の手前で履物を脱ぎ裸足でお参りしていたのだそうです。(案内板から)
神橋のたもとから見た本殿の鳥居。
祓所(右下)も写っています。またあとで出てくる「亀石」は手水舎から海岸を見下ろした所にあります。
神橋の上から、日向灘の眺めです。
本殿前の鳥居。
鵜戸神宮本殿
鵜戸神宮本殿です。
本殿内部。
本殿平面図。
本殿の周りを歩けるようになっています。本殿の裏側です。
本殿裏手にある、産湯の跡。
本殿裏手にある、お乳岩
母性愛から鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)のために豊玉姫が乳房をくっつけていったと伝えられるお乳岩です。
本殿裏手にある、御霊石(ごれいせき)。
裏手方向から見た、本殿の横側。
本殿に向かって左側にある、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)を祀る「皇子(おうじ)神社」です。
彦五瀬命は鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の第一皇子で神武天皇の兄です。
祓所。
神宮前の海岸には奇岩が連なっている。
鵜戸神宮 亀石
亀石です。
<運玉と亀石の由来>
奇岩連なる中、一際目を引く岩は亀石です。古くから参詣者は亀石の枡形穴に向かってお金を投げ入れる風習がありました。ところが昭和27年頃、落ちたお金を求め崖を降り磯に出る子がいて問題になりました。賽銭に代わるものをと、鵜戸小鵜戸神宮ともに試行錯誤した結果、昭和29年に粘土を丸め運の文字を押し、素焼きにした「運玉」が誕生しました。以来、地元の子供達が作り続ける運玉は亀石に投げられ、願いと夢と喜び楽しみを与えています。(運玉の由来を記した石板から)

運玉(御初穂料 1人 100円5個)
男は左手で、女は右手で投げる。

運玉を1個ずつ願いを込めて下の亀石の枡形に投げ、玉が入ればもちろん、亀の背中に当たれば願いごとがかなえられると言い伝えられています。
(近くあった看板から)
本殿の鳥居前付近から神橋方向の画像です。


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