【 荒砥城跡 千曲市城山史跡公園 】

荒砥城あらとじょう)は今から約400年前の戦国時代に、この地を治めていた村上氏の一族である山田氏によって築かれた山城で、郭(くるわ)が連なるように並んでいるところから『連郭式山城(れんかくしきやまじろ)』と呼ばれています。
荒砥城と千曲川をはさんだ対岸の山頂に築かれた「葛尾城(かつらおじょう)」の城主村上義清は、天文17年(1548)の上田原の戦いなどでは武田信玄に勝ち領地を守ってきましたが、武田軍の圧倒的な軍勢の前に天文22年(1553)に葛尾城は落城し、荒砥城も城主を失い山田氏も滅亡しました。
その後、川中島の戦いを経て荒砥城は上杉氏の治める城となりますが、海津城(かいづじょう)の副将であった屋代秀正(やしろひでまさ)は上杉方に背き海津城を出て荒砥城にこもりました。
天正12年(1584)、上杉軍に攻められた荒砥城は落城して廃城となり、城としての役割を終えました。
<現地でもらったパンフレットから>

荒砥城址は千曲市城山史跡公園として整備され、その建物などはNHK大河ドラマ「風林火山」のロケで使用されました。

2008年11月15日訪問
城山史跡公園案内図です。「現在地」から本郭へ向かって歩きます。
この公園は、戸倉上山田温泉の西側の山手にあります。

上の画像、案内所・門のところです。

三の郭から二の郭へ通じる門です。

上の画像の門、内側から写しました。

兵舎は、

ロケではこのように使われました。
<現地にあった案内板から>

本郭側から、門を通して二の郭方向の画像。

ロケではこのように・・・・。<現地にあった案内板から>

本郭から二の郭の画像です。画像右下の門が上の画像に写っている門です。

ロケ風景はこのように・・・・。<現地にあった案内板から>

二の郭の櫓です。

ロケではこのように・・・。
<現地にあった案内板から>

二の郭の櫓の上から、兵舎と本郭の館・兵舎方向の画像

本郭の館と兵舎の画像です。

櫓から眺めた千曲川下流方向の画像です。

櫓の上から眺めた戸倉上山田の温泉街です。
画像からも想像できると思いますが、荒砥城跡はけっこう高いところにあります。

櫓の上から眺めた、千曲川上流方向の画像です。



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