【 健御名方富命彦神別神社 】

健御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ)は、長野県長野市にある神社です。
式内社の論社で、旧社格は県社だそうです。


健御名方富命彦神別神社について、ウィキペディアでは次のように解説しています。

善光寺の東に隣接する城山公園の一角、横山城跡に鎮座する。もと善光寺本堂北側に「年神堂」としてあり善光寺の守護神であったが、明治初頭の神仏分離に伴い現在地に遷座した。
諏訪大社の祭神でもある健御名方富命(建御名方神)を祀っており、境内に御柱が建てられている。
明治12年(1879年)1月、明治天皇臨幸を契機として神仏分離により善光寺年神堂(歳神堂)を善光寺境内から現在地に遷座し、神名帳記載の「健御名方富命彦神別神社」に改称した。なお、当地に移ったのは祭神のみで、旧年神堂の本殿は守田迺神社に移築された。

(2021年3月15日訪問)
 
健御名方富命彦神別神社の鳥居です。
ウィキペディアによれば、額「健御名方富命彦神別神社」は有栖川宮幟仁親王の筆だそうです。
上の画像に写っている鳥居の下から拝殿・本殿方向を写しました。
石段の上に拝殿が見えました。
正面から拝殿を写しました。
拝殿に掲げられた扁額です。
「光仁天皇勅語 祭祀神祇國之大典 石上神宮司正四位 立木兼善書」とあるようです。
別角度で拝殿を写しました。
向かって右側の社には「地主大神」の扁額が掲げてあります。
本殿です。
「明治天皇駐蹕之処」の碑です。

当地への明治天皇駐蹕についてウィキペディアには「明治12年(1879年)1月、明治天皇臨幸を・・・」としています。
摂末社の一つ、千幡社です。
摂末社の一つ、木匠祖神社です。
近づいて木匠祖神社を写しました。

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