【 原の辻遺跡 】

原の辻遺跡(はるのつじいせき)は、壱岐市芦辺町深江栄触・鶴亀触(つるきふれ)、壱岐市石田町石田西触にかけて広がる、弥生時代前期から古墳時代初期にかけての大規模環濠集落を中心とする遺跡で、一支国の跡であるとされます。2000年(平成12年)には国の特別史跡に指定されました。

一支国(いきこく 一支國)は、中国の史書に記述される倭国中の島国で、魏志倭人伝では「一大國」とされ、他の史書では「一支國」とされています。そのため、魏志倭人伝は誤記ではないかとされていますが、誤記ではないとする説もいまだ根強いそうです。
1993年、長崎県教育委員会は壱岐島の原の辻遺跡が一支国の跡であると発表しました。
出土品は壱岐市芦辺町深江鶴亀触515番地1にある「壱岐市立一支国博物館」収蔵されています。

<パンフレットなどから>

(2010年8月21日訪問)
 
13:35頃、遺跡に隣接して設けられた「原の辻ガイダンス」に着きました。
駐車場にあった、原の辻遺跡の案内です。
原の辻遺跡の復元公園部分です。
原の辻ガイダンス正面です。
上の画像左にある、船着場の復元模型です。
原の辻遺跡復元公園の案内図です。
上の画像、点線の部分です。
ガイダンス内部です。
13:46頃、原の辻遺跡復元公園へ向かいます。
この画像左端に写っている掘立柱が、次の画像です。
案内図でも分かりますが、けっこう歩かなければ・・・。
13:48頃、復元建物が見えてきました。
13:50頃、復元建物のエリアです。
遺構露出展示施設、、土器溜り(どきだまり)です。
一般の土器や石器などとともに、まつりに使われた土器がこの辺りにまとめて捨てられていました。
<解説の記述>
土器などを捨てた場所ですから、集落の端なのだと思います。
ガラス越しに、施設の内部を写しました。
では、集落の中心域方向へ向かいます。
上で紹介した、中心域の案内図をもう一度どうぞ。
中心域です。
手前の建物は「交易の倉庫」、画像右上は使節団用の倉庫・使節団従者の滞在所・使節団長の滞在所です。
交易の倉庫の脇を通って先に進みます。
手前から、小型高床倉庫2、小型高床倉庫1主祭殿、平屋脇殿です。
ここから、右回りに「ぐるっと」映します。
風きり音が大きいので、音は消しています。
小型高床倉庫2付近から、使節団用の倉庫・使節団長の滞在所・使節団従者の滞在所です。
小型高床倉庫2付近から、交易の倉庫、交易司の家です。
山の上に見えている塔は「壱岐市立一支国博物館」です。
ズームで写した、壱岐市立一支国博物館です。
小型高床倉庫2付近から、穀倉です。
上の画像の左方向、右から穀倉、通訳の家、使節団の宿舎、手前に番小屋とその向こうに物見櫓です。
穀倉です。
復元倉庫は、原の辻遺跡以外の場所でも見たことがありますが、このように自然木のY字部分を使った施工方式には気付きませんでした。
考えてみれば、とても合理的です!。
物見櫓(見張り台)です。
居住域です。
日本最古の権
ここから棹秤(さおばかり)に使うおもり(権)が発見されました。
交易品のような貴重なものを量ったのでしょう。
<案内板の記述>
案内板にあった写真。
原の辻ガイダンスに戻る途中、振り返って写しました。

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