平家盛公上陸地(火焚崎)は宇久島の西にあります。 平家盛は平清盛の異母弟で1149年に亡くなって、保元の乱は1156年、壇ノ浦の戦いは1185年だと思います。 しかし宇久島には家盛が同島に辿り着いたという伝承があるそうです。 <九州観光機構のサイトで「平家盛公上陸地(船隠し)」を解説した記述> 隠密に京を出た平家盛は、安住の地を求めて西を目指し、辿り着いた先が宇久島でした。暴風の中やっとの想いで漂着した家盛は、地元の漁師(海士)に助けられ一命を取り留めます。 漁師たちは、家盛公たちが乗っていた小舟を磯の入り江に隠し、その上の岬の丘で暖をとり、体を温めてあげました。船を隠した入江は「船隠し」、暖をとった岬は「火焚崎(ひたきざき)」と呼ばれており、夕陽の鑑賞スポットです。 (2025年5月22日訪問) |
8:47頃、火焚崎に着きました。 強風です。 |
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。 |
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。 |
上の画像を写した場所で、右を向いて写しました。 |
上の画像4枚のところ「ぐるっと」映しました。
ユーチューブのURL → https://youtu.be/NhEcp2FAYM0 |
祈りの岬モニュメント(正式名は分かりません)です。 「力」って何だろうと帰宅後調べてみたら、これを寄贈した方は「宇久島の地域振興に尽力された故古賀力氏」なのだそうですが、お名前を使ったのかと想像します。 |
平家盛公上陸地記念碑です。 |
船隠しです。 |
船隠しです。 |
上の画像を写した場所で、上陸地記念碑方向を写しました。 |