【 薬師寺(その1) 】

薬師寺は天武天皇により発願(680年)、持統天皇によって本尊開眼(697年)更に文武天皇の代に飛鳥の地で堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710年)に伴い現地に移された。
当時は南都七大寺の一つとしてその大伽藍は我が国随一の壮美を誇りました。爾来1300年を経、この間幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火では、東塔を除く諸堂が焼失しました。
昭和42年、高田高胤官主(たかだこういんかんす)により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願されました。失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とし、写経勧進によって、金堂・西塔・中門・回廊、更には平成15年3月に大講堂が復興されました。
(パンフレットから)

私が初めて薬師寺を訪問したのは30年も前のこと、当時の伽藍の様子は覚えていませんが、TVなどで高田氏が西塔復興に尽力しているということは聞いていました。一度氏の講演会にも行ったことがありました・・・。

(2008年1月13日訪問)


伽藍配置図。

観音池から南門に向かう途中、塀の上から境内を写しました。

南門です。

南門を入ったところから、中門。中門から東西に回廊が伸びている。

中門から写した金堂。
二重ニ閣(にじゅうにかく)、五間四面(ごけんしめん)、瓦葺で、各層に裳階(もこし)つけた堂で、竜宮造りと呼ばれている。
堂内には国宝薬師三尊像が安置されている。

中門から写した東塔(国宝:白鳳時代)です。
東塔は各層に裳階(もこし)をつけているため六重に見えますが、三重塔です。

中門から写した西塔です。
西塔は享禄元年に兵火で焼失し、昭和56年4月に453年ぶりに創建当初の白鳳様式をもって復興されたました。

東塔。

東塔の相輪(そうりん)と水煙(すいえん)。
相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天が透かし彫りにされている(パンフレットから)。

東塔

北側から見た、東塔・中門・金堂。

金堂から写した大講堂。
正面41m奥行20m高さ17mで伽藍最大の建造物です。講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃(こうさん)したためです。大講堂の本尊は弥勒菩薩です。
後堂(うしろどう)には仏足石が安置され、仏足石の両脇に釈迦十大弟子(中村晋也作)も置いてあります。
(パンフレットから)。

堂内は撮影禁止なので、外からズームで写させてもらいました。

大講堂から東塔と金堂。



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