元は「吉水院」といい、役行者が天武天皇の白鳳年間(650〜54年)に創建したものと伝えられる。
明治初年の神仏分離令に続く、修験道廃止令により、一時は廃寺となったが、1854年(明治7年)「後醍醐天皇社」という名称のもとで創立が許可され、翌年「吉水神社」に改め現在に至っている。
吉水院は、1185年(文治元年)源義経が兄頼朝の追害を逃れ、静御前や弁慶らと共に身を隠したところであり、また1336年(延元元年)建武の親政に敗れた後醍醐天皇が京都の花山院を抜け出し、吉水院宗信の援護により、ここを南朝の行宮と定めたところでもある。
1594年(文禄3年)には太閤秀吉がここを本陣として大花見の盛宴を催し、天下にその権勢を示した。
(境内の案内板から)
(2005年10月9日訪問)
神社ですが、門は寺の山門です。 |
書院 初期書院造の代表的傑作といわれている。 |
弁慶力釘の碑、このそばに次の写真の・・・。 |
弁慶力釘 上から1/4、中央から少し左よりのところに、釘の頭が見えますが、弁慶が石に打ち込んだものとされているんだそうです。 |
本殿 |
義経馬蹄跡 案内板の左上の小さなくぼみかな・・・?。 |