【 越後岩沢駅 】

今は無人駅になってしまった「越後岩沢駅えちごいわさわえき)」です。23年前には、数ヶ月間ですが、私「Aべ(阿部伸一)」も係わっていました。
そのときの職員紹介を・・・、古家駅長、田川助役、高橋職員、そして阿部職員・・・、高倉健にも引けをとらないくらいの鉄道員(ポッポ屋)だったんですよ。
(1999年撮影)


越後岩沢駅 駅名板
それでは、越後岩沢駅にお入りください。

「タ・シ・カ・ニ」とは・・・、通票(タマ)のタ、信号のシ、旅客のカ、荷物のニのことです。
列車を発車させる前に「閉そくと信号は良いか、お客様は乗ったか、荷物の積み忘れはないか」を確認するための標語のようなものです。
「通票」とか「閉そく」って、専門的なことだから一般の方には馴染みが無いでしょう、「それって何なの、教えてよ!。」という方はお気軽にお問い合わせください。
 

ホームに建っていた倉庫の「財産票」です。
昭和2年(1927)のものだから、約70年前なんですね。

越後岩沢駅がある飯山線は単線区間です。
だから駅構内は列車が行き違う構造になっていて、当時は越後岩沢駅でも上りの列車と下りの列車が行き違っていた。でも、今はそれもない。
当時は十日町・長野方面行きのホームだったところもススキの畑だ・・・。

 「線路は続くよどこまでも・・・」とは過去のものになってしまった・・・。
続かない線路・・・。

子供のころ、この線路の向こうには何があるのか解らなかった。お盆や正月に叔父さんがお土産を抱えてやってくる線路、寂しさで見送った線路だった。
仲間と通学した線路、そして、小さな夢を抱えて旅立った線路だった。
今、この先がどこに通じているかは知っている。だけど、こうして眺めていると、今でもこの線路の先には何か夢があるような気がする・・・。

除雪作業で汗だくの阿部職員。

  

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