【 国上寺 】


真言宗(豊山派)雲高山国上寺(こくじょうじ)は和銅2年(709)弥彦大明神(香具山命)御託宣により、泰澄大徳の開山による北越鎮護、仏法最初の霊地といわれています。
現在の本堂(阿弥陀堂)は客僧万元が中心となり、およそ30年がかりで享保3年(1718)再建されたものです。
本尊は上品上生阿弥陀如来木造座像で、本堂内には泰澄、万元ほかの諸像もります。(境内の案内板から)

(2008年5月6日訪問)

四国八十八箇所石塔
建立年代は明らかではなく、弘法大師入定一千年忌(天保6年)頃に寄進されたものといわれている。石塔は国上寺を中心に西参道から東参道に点在していた。その後観光道路が開発されたため、昭和44年に一括してこの場所に遷座したものである。現在5札所の石塔は見当たらない。(案内板から)

たまたま目に入りました、石手寺の石塔ですね。

梵鐘と鐘楼は、正徳5年(1715)に再建され、鋳工は大窪村(現柏崎市)の歌代甚兵衛藤原寛康という。
(境内の案内板から)

本堂(阿弥陀堂)

本堂(阿弥陀堂)
 

六角堂
文治3年(1187)源頼朝に追われる身となった義経は、武蔵坊弁慶をはじめ数人の家来と共に奥州藤原秀衡を頼って落ちのびる途中、寺泊を経て国上寺に参詣、今後の無事を祈願して持仏の大黒天木造を寄進したといわれる。
その後は国上寺に秘蔵されてきたが、文化13年(1816)に至り、霊夢により招福利益のために六角堂を建立し、大黒天像が本尊として安置された。(案内板から)

六角堂内部。

大師堂
この堂は、本堂(阿弥陀堂)再建(享保3年)までの間、本尊・脇待等を一時遷座するために建てられたものです。
現在は弘法大師像が安置され、大師堂とされている。
(案内板から)

大師堂内部。

弘法大師五鈷掛の松
弘法大師が中国から帰国の際、三鈷と五鈷を投げたとされているが、三鈷は高野山の松にかかり、五鈷が国上寺のこの木にかかり真言道場になったとされている。(案内板から)

鐘楼側から、東山門。

方丈講堂。

(方丈講堂側から)西山門。
この門を通って、五合庵に向かいます。

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