管理棟。 |
鳥瞰図に本丸まで向かう道(登山道)が描かれています。 この道を登っていき、本丸の下の三叉路を右に進みました。 西の丸と米蔵の間の堀切、本丸と米蔵の間の堀切、米蔵、本丸を辿って、その三叉路に戻り、登山道を下って帰りました。 |
管理棟から本丸跡方向。本丸跡に設置されている東屋が見えるのですが、画像でははっきりしませんね。 |
・・・で、ズームです。これからあそこまで行ってみます。 |
管理棟の脇から続く登山道を歩いて25分ほどかかります。 |
汗をかきながら登ってきましたが、あと5分のようです・・・・。 |
画像にするとそうでもないように見えますが、けっこう急斜面を登ります。 |
本丸の下の三叉路の所まで来ました。ここを右に行きます。 |
西の丸跡と米蔵跡の間の堀切。 山麓(管理棟側)を背にしていますが、右側が西の丸跡で左側が米蔵跡です。 |
本丸跡と米蔵跡の間の堀切。 山麓(管理棟側)を背にしていますが、右側が米蔵跡で、左側が本丸跡です。 |
米蔵跡です。現在も米蔵跡からはその乱の時に焼けた米『焼き米』が出土するそうです。 文化財指定されている為、持ち出し禁止だそうですが、見つけてみたい!。 |
米蔵跡から堀切をはさんだ本丸跡を写しました。 |
米蔵跡の地面を小枝で少し掘ってみると・・・、米らしきものがありました!!!。 紙の上に乗せてみました。 |
接写してみましたが、米みたいでしょう!。 |
写真を写した後はまた元の所に戻して、土を被せておきました。 |
米蔵跡側から本丸跡。 画像左端の建物が管理棟から見えた東屋です。 |
本丸跡から米蔵後。 |
標高183mの本丸跡からは、高田平野を眼下に日本海や米山までを一望することができるそうですが、当日は見通しが良くなかったので日本海(この画像の左方向)は確認できませんでした。 |
米蔵跡側と反対側から本丸跡。 |
直江津駅の南西約600m(直線距離)の所にある御館公園。 「史跡御館」の石碑が立っている。でも、国か県の史跡なのかな・・・?。 御館は、謙信公を頼って越後に来た関東管領・上杉憲政の住居としても使われていた屋敷だそうです。 |
別角度で御館公園。 上の画像に写っている碑は、この画像の左上側「一時停止」の標識が写っているところ。 |