新潟市秋葉区、金津地区の「石油の里公園」にある「石油文化遺産施設」です。
秋葉区(旧新津市)は、明治時代は全国有数の出油地帯でした。
そこで新津では実際に使われた石油の採掘・精製施設を産業文化遺産として、そして石油井戸により自然のままに保全されてきたみどり豊かな森林を環境保全林として後世の人々に伝えるため整備しました。それが「石油文化遺産施設」です
明治時代から昭和初期にかけて、日本有数の産油量を誇った新津は、当時の日本の石油産業の一翼を担っていたといっても過言ではありません。
ここ金津(かなづ)における石油産業は、1903年(明治36年)に中野貫一が商業油田を掘り当てたことが最初といわれています。最初の試掘から29年目の成果でした。その後アメリカから当時最新鋭の機械掘り技術などを導入する頃になると、中野貫一は豊な産油量とあいまって「日本一の石油王」と呼ばれるようになり、巨冨を築き上げました。
大正6年には年産12万キロリットルで、産油量日本一となり、第二次の全盛時を迎えましたが、その後は産油量も減少し、平成8年3月をもって稼働を終了しました。
新津市(現:秋葉区)では、「石油のまち」新津というまちのイメージを作り上げた石油産業の功績を称えるとともに「石油」という「燃ゆる水」により隆盛を極めた時代を後世に伝え、「石油」を文化的側面から見てもらうために石油採掘施設を「石油文化遺産」として保存展示しました。平成10年8月新津市
(案内板から)
2008年7月13日訪問
保存されている、網掘り井戸(機械掘り3号井)。 県道41号線から30mほど入ったところにあります。 |
上の画像の所にあった案内図(この案内図で赤色で記されている)。 左下の道が県道41号線に通じている。 |
網掘り井戸(機械掘り3号井)。 |
別角度で、網掘り井戸(機械掘り3号井)。 |
3つ上の案内図の右側部分(井戸に隣接して設けられた施設) 濾過池(ろかち) <現地では泥溜(どろだめ)という> 各杭井からポンプで汲み上げた石油と水は、パイプラインで本部集油所に集められサイホン法式で大まかに油と水に分けられ、油はポンプにより次の集油タンクへ送られ、水は地下パイプでこの濾過池(泥溜)に排水されます。金津原油は重質油で水との分離が困難なため、排水された抗水の中にはまだ多くの油分を含んでいます。 この油分を更に分離するため、濾過池はいずれもサイホンで連結して、時間をかけて水と油の分離を待ち、表面に浮いた油を「トンボ(約4mの竹竿の先端に、約50センチの竹棒をT字に結びつけたもの)」で寄せ集めてひしゃくで桶に汲み上げ、ポンプで再び本部集油所へ送り返しました。この作業は女性数人が担当で、「油返し(あぶらがえし)」と呼んでいました。この方法で毎日作業を繰り返し、採れる油は全て汲み取る努力をしたのがこの濾過池(泥溜)です。 (案内板から) |
別角度で濾過池(案内図の右端から井戸の方向に向いて写した画像)。 |
これからご案内する施設の案内図です。 画像手前に描かれている道路は県道41号線です。 上でご案内した機械掘り3号井は、これからご案内する施設と県道41号線をはさんで反対側にあります。 |
本部集油所(集油池) 白い建物は資料展示館で、集油池はその裏手にあります。 この集油所には直径・深さともに6尺(約1.8m)の桶が3つあり、井戸で汲み上げられた原油は、一旦ここに集められます。 原油はサイホン方式により大まかに水と油に分けられ、水はビット(集水枡)を経て地下パイクで排水され、油はポンプにより次の週湯タンクへ送られ、油と水の分離がさらに進められます。 (案内板から) |
資料展示館側から見た集油池。 |
集油タンク(容量255キロリットル) 本部集油所(集油池)から送り出された原油は、この集油タンクに集められ、自然沈下方式によりさらに油と水に分けられます。ここで採掘される原油は、油の中でも比重が高く水と分離しにくい「重質油(じゅうしつゆ)」であるため、集油タンクだけでは完全に分離しきれません。次の計量タンクなどの過程を経て、分離を完全にしていきます。 (案内板から) |
集油タンク前を離れて、計量タンク方向に歩きます。 |
計量タンク 容量90キロリットル 集油タンクから運ばれた原油は、このタンクで浮子(うきこ)により量を計ります。また、この計量タンクは丸一日かけて自然沈下により油と水の分離が引き続き行なわれ、次の第一・第二加熱炉へと作業工程が進められていきます。 (案内板から) |
第一加熱炉・第二加熱炉 容量16キロリットル 水と油の分離が進んだ原油は、この加熱炉で70度の温度で一晩熱せられます。加熱作業により、汲み上げられた油と水の分離が更に進みます。なお、この加熱作業は第一加熱炉と第二加熱炉を交互に使い、進められました。 (案内板から) |
第一水切タンク(容量14キロリットル)・第二水切タンク(容量25キロリットル) 第一・第二加熱炉で加熱された水混じりの油は、非常に分離されやすくなっており、この水切タンクで丸一日かけて完全に分離され純粋に原油だけとなります。 そして、原油は受渡タンクを経て、タンクローリー車に積みこまれ出荷されていきます。この水切作業も第一水切タンク・第二水切タンクを交互に使い、進められました。 (案内板から) |
水切タンク・加熱炉と資料展示館(画像中央の白い建物)・案内板方向。 |