平成17年から改修工事を行っていた貞観園は平成21年6月12日にオープンしました。
入館料500円を支払って、他の社寺や庭園と同じように、普通に見学することが出来ました。もちろん、立ち入り禁止のところは入れません。
以前は係りの人の案内で庭園の中を歩いて観るというたのだそうですが、現在はそうではなく、貞観堂の中から自由に庭園を眺めるという形です。
(2009年7月28日訪問)
貞観園平面図です。 <許可を得た上でパンフレットから転載> |
貞観園入口から園内に入ったところです。 画像左上に「貞観堂」が写っています。 |
園内にある「貞観堂」です。 貞観園は、以前は回遊式庭園(かいゆうしきていえん)のスタイルでしたが、現在はこの貞観堂の中から庭を眺めるようになっています。 |
貞観堂の玄関で、「行之玄関」と名づけられています。 |
相当広範にわたって修理しているようです・・・。 |
行之玄関の右に「土間(受付があります)」への入口があります。 |
貞観堂平面図です。 <許可を得た上でパンフレットから転載> |
土間の上の梁です。 |
土間から続く「寄付之間」に展示してある「娥眉山下橋標木」です。 1825年(文政8年)12月に刈羽郡椎谷の浜に漂着した唐土の標木といわれ、鈴木牧之の「北越雪譜」に図で報じられたほど話題になりました。 高さ約2.6m、周り約88cm、柱に「娥眉山下橋」の五文字が刻まれています。 <案内板から> |
建物内側から写した、行之玄関です。 |
広間です。(画像奥に写っている、テーブルがある部屋は三之間です。) |
広間の天井には、太い梁が通っています。 |
広間の右隣は「茶之間」です。 茶之間の向こう側の部屋(階段が見えます)は「三之間奥」です。 |
庭側から見た「三之間」です。 中央の古紫檀の大卓は明治11年9月の明治天皇北陸巡幸の時に鯨波御野立所で使用になったものです。 床の間の掛け軸は園名「貞観」の命名者藍澤南城によるものです。 <案内板から> |
三之間から、庭の眺めです。 |
畳廊下にあった襖。 |
真之玄関です。 |
池がある庭側の畳廊下です。 |
畳廊下の上部です。 |
畳廊下の外側です。 |
二之間(容斎之間)です。 |
二之間(容斎之間)の襖です。 歴史画の大家であり、勤皇家として有名な菊池容斎がその著書「前賢故実」により幕府の忌避にふれ、51歳の頃に雲水無尽と改名して、親交のあった8代亀石翁・9代哲斎翁の時にこの部屋に滞在しました。 容斎は多くの作品を残しましたが、この部屋の襖「洛外嵐山」もそうです。<案内板から> |
上段之間(望陽台) 貞観堂の中には多くの部屋がありますが、その中でも高貴な方を迎える部屋がこの望陽台です。欄間の鷹は菊池容斎によって描かれました。 |
上段之間(望陽台)の欄間です。 |
上段之間(望陽台)から庭の眺めです。 画像左の建物は「抱月楼(ほうげつろう)」です。 |
ズームで、抱月楼です。 |
抱月楼の左奥は「月華亭(げっかてい)」です。 |
ズームで、月華亭です。 |
4つ上の画像の続き(右方向)です。 |
更に右方向です。 画像右の建物は「環翠軒(かんすいけん)」です。 |
ズームで、環翠軒です。 |
場所を少し移動して、庭の眺めです。 |
茶之間・三之間奥側の廊下です。 |
三之間奥は中二階がありますが、その階段です。 |
三之間奥の中二階部分です。 |
貞観堂に続く建物が、 |
3棟連なっていますが、 |
公開はしていません。梵鐘があります。 |
ズームで、梵鐘です。 |