本丸跡にあった案内板です。 観光協会のパンフレットや、現地の案内板によると、本丸のことを「実城(みじょう)」と呼んでいます。 今回通ったルートは、大手口からではありません。 |
「与板城跡登り口」の案内板がありました。 当日はこの石段を補修中であったため、途中まで迂回路を歩きました。ここから本丸跡までは徒歩で15分ほどです。 |
上の画像の石段を登って進むと、この場所に出ることになります。 案内板に、実城(本丸のこと)まで390mとあります。では引き続き歩きましょう!。 |
遊歩道が整備されています。 |
曲輪跡でしょうか・・・?。 曲輪(くるわ):城やとりでの、周囲を土や石などで築き巡らしてある囲い。また、その内側の地域。 更に歩き続けましょう!。 |
おぜん清水の案内板がありました。 直江兼続の夫人、おせんの方は三歳年上の姉さん女房でとても賢い女性でした。兼続との間に一男二女の子供があり、夫婦仲も非常に良かったようです。上杉景勝の子で第二代米沢藩主である定勝の信頼も厚く、米沢では3000石もの領地を与れられました。 おせんの方は、この清水でお茶をたてたと伝えられており「おせん清水」と呼ばれています。 (案内板の文章) 「※清水の跡は矢印の方向にあります。」とも書かれているので、そちらに進んでみました。 |
100mほど歩くとここですが、この先は歩道がなく・・・、 |
このようになっていて、「おせん井戸の跡」と記された杭が立っていました。 |
遊歩道に戻って歩き続けると、門跡と書かれた杭がありました。 |
鳥居がありました。あの鳥居をくぐって、左にカーブすると・・・、 |
本丸跡です。(この鳥居は上の画像の鳥居とは別のものです) この画像の向こう側に写る鳥居は・・・、 |
稲荷神社の鳥居でした。 |
「史跡 與板城跡」の石柱もありました。 |
上の画像に写っている社の裏に、この祠がありました。 |
慶長3年、直江山城守兼続(なおえやましろのかみかねつぐ)が会津移封のおり、記念として5本の杉を植えたものであると言われている「城の一本杉<長岡市指定文化財>」です。(案内板から) |
「城の一本杉」の隣にあった像です。 狛犬だろうか・・・?。しかし対の像はなく、この一体だけでした。 |
土塁跡。 |
この案内板が指し示す方向には、 |
空掘りを挟んで二の郭跡です。 |
本丸跡からの眺めです。 |
直江兼続直筆書「望む所の事は信の一字なり」の碑がありました。 |