【 今帰仁城跡 その1 】

今帰仁城(なきじんじょう)跡は、国頭郡今帰仁村にある城跡です。
14世紀に琉球王国三山時代の三山の一つである北山王の居城でありました。
国の史跡に指定されており、首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産にも登録されています。
(登録名称は今帰仁城跡)。

<パンフレットから>

ここでは、城跡の入口から「大隈(ウーシミ)」「大庭(ウーミヤー)」を紹介しています。
主郭・志慶真門郭(シジマジョウ)はこちらでどうぞ→今帰仁城(なきじんじょう)跡 その2


(2010年5月15日訪問)
 
現在位置にあった案内板の案内図です。
現地にあった城跡の模型です。
入場券を購入してから、城跡に向います。
石垣が見えてきました。
10:39頃城跡の入口に着きました。
入口の門、「平郎門」です。
現在の門は、昭和37年(1962)に修復されたものです。
門の左右に狭間(さま)があり、天井は大きな一枚岩を乗せたつくりです。<パンフレットから>
平郎門の上部付近から写した、平郎門から大庭まで続く石段です。
上の画像を写したアングルから、右回りに「ぐるっと」映しました。
上の画像を写した所から平郎門です。
城内側から見た平郎門です。
狭間(さま)は、城壁や櫓(やぐら)などに設け、内から外をうかがったり矢や鉄砲などを用いたりするための小窓のことです。
平郎門の前から、大庭まで続く石段方向です。
大庭まで続く石段です。
石段を上ったところから、平郎門方向です。
上の画像を写したところで振り返って、大庭(ウーミヤー)です。
沖縄の城(グスク)は、正殿と呼ばれる主要な建物の前面に広い庭を持ち、政治・宗教が執り行なわれる重要な場所として利用されました。
大庭には北殿跡やカラウカーなど建物跡・御嶽(ウタキ)が多く存在し、現在も祭祀が行なわれる重要な地区となっています。
<案内板から>
大庭の南側には南殿があったと推定され、北の一段高くなったところが北殿跡とされます。
この画像は、北側の一段高くなった場所です。
「御内原(ウーチバル)」から「大隈(ウーシミ)」を写しました。
大隈は、かつて「城兵たちの訓練場」であったといわれます。
またここには城外に抜けることのできる抜け穴があると伝えられています。
本格的な発掘調査は行なわれておらず、今後の調査が期待される地区の一つです。
<案内板から>
上の画像の右側、続きです。
上の画像の右側、続きです。

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