【 斎場御嶽 】

斎場御嶽(せーふぁうたき)は南城市(旧知念村)にある史跡で、15世紀〜16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽であるとされます。「せーふぁ」は「最高位」を意味し、「斎場御嶽」は「最高の御嶽」というような意味となります。

国の史跡であり、また首里城跡などとともに、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されています。
<パンフレットなどから>

(2010年5月13日訪問)
 
15:36頃、拝観券売り場・案内所です。
案内所を出て、斎場御嶽に向かいます。
御門口(うじょうぐち)です。
斎場御嶽の入口で、神社でいえば拝殿にあたる所です。琉球最高の御嶽ゆえに、ここから入場できるのは王府関係者に限られていました。右側には、御嶽内にある6つの拝所を示す香炉が置かれ、一般の人々はここで御嶽の中に向かって拝みました。<案内板から>
さらに進みましょう。
御門口から登って行くと左手に最初の拝所である「大庫理(うふぐーい)」があります。
大庫理は「大広間」や「一番座」という意味を持っており、前面には磚(せん:レンガ)が敷かれた祈りの場(ウナー)があります。<パンフレットから>
正面から大庫理です。
大庫理の岩をぐるりと回った反対側にある、「寄満(ゆいんち)」が見えてきました。
寄満です。
正面から寄満です。
寄満とは、王府用語で「台所」を意味しますが、貿易の盛んであった当時の琉球では、世界中から交易品の集まる「豊穣の満ちた所」と解釈されています。<パンフレットから>
寄満の鍾乳石、ズームです。
すごい根。
寄満を後に、三庫理(さんぐーい)へ向うことにします。
三庫理(さんぐーい)です。
画像右下の2本の鍾乳石は拝所となっています。<案内板から>
上の画像右下に写っている鍾乳石、奥側が「シキヨダユルアマガヌビー」、参道側が「アマダユルアシカヌビー」で、そこから滴る水を壺で受けています。
画像に写っている案内板には「2つの壷中にあるのは神聖な水です。触れることは、ご遠慮下さい。沖縄県南城市教育委員会」と記されていました。<案内板から>
鍾乳石から壺に落ちる水滴を映しました。
この三角形の空間の突き当たり部分(観光客が写っている所)も拝所になっています。<パンフレットから>
行ってみましょう。
三角形の空間の天井部を見上げて写しました。
久高島遥拝所(くだかじまようはいじょ)
琉球王朝の絶対的な存在である国王はまさに太陽であり、その太陽の上がる方向にある久高島は、東方楽土ニライカナイへの「お通し(遥拝)所」として沖縄各地で崇拝されています。
琉球王朝時代の久高島遥拝所は御門口下方にありますが、いつしかこの場所が遥拝所として定着しました。
<案内板から>
久高島は知念半島の東方海上3Kmほどの所に位置する島です。琉球開闢伝説では、琉球開闢神であるアマミキヨの上陸地とされ、五穀発祥の地と伝えられます。
<パンフレットから>

この画像で白くなっている先は海で、その方向を写した画像が次の画像です。
久高島遥拝所から見た久高島です。
久高島遥拝所側から写した三角形の空間です。

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