【 首里城公園 その1 】

首里城公園は首里城跡を整備した公園です。
首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里にあった城です。

琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城で、戦前は正殿などが国宝でしたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦などで完全に破壊され、跡地には琉球大学が建てられ、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っていました。
1980年代前半に琉球大学が西原町へ移転したことにともない、本格的な復元が1980年代末から行われ、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元されました。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されましたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」で、復元された建物や城壁は世界遺産ではありません。

<パンフレットなどから>

(2010年5月17日訪問)
 
9:15頃、首里城公園の地下駐車場です。
ちょっとボケてしまいましたが、駐車場から「首里社館」に向かい、そこから守礼門方向へと進みます。
9:16頃、守礼門が見えてきました。
守礼門です。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の前から、歓会門(かんかいもん)方向です。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)です。
この石門は、その背後にある「園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)」の礼拝所です。園比屋武御嶽は16世紀の琉球王国・尚真王時代の御嶽で、国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所だそうです。
<パンフレット等から>
歓会門(かんかいもん)は、首里城の城郭に入るときに最初にくぐる門です。
石門に取り付けられた扉。
扉の下部分。
歓会門方向から、瑞泉門(ずいせんもん)です。
瑞泉門の内側(向こう側)にあるのは漏刻門(ろうこくもん)です。
瑞泉門側から歓会門方向です。
歓会門から瑞泉門に上る石段の右手にある、龍樋(りゅうひ)です。
瑞泉門の次にあるのは漏刻門(ろうこくもん)です。
漏刻とは中国語で「水時計」という意味で、当時は門の上の櫓(やぐら)に水槽を設置し、水が漏れる量で時間を計ったといわれています。
<パンフレットなどから>
漏刻門をくぐったところで、広福門(画像右側)と、北殿方向(画像中央奥側)です。
上の画像を写した付近から歓会門(画像中央)方向です。
画像右下の門は、園内を一巡した後の出口になっている久慶門(きゅうけいもん)です。
日影台(にちえいだい)
漏刻(ろうこく)が水時計であるのに対して日影台(にちえいだい)は日時計のことです。
琉球王国時代、首里城では日時計を用いて正午およびその前後の時刻をはかり、漏刻でくわしい時刻をはかったといわれています。<案内板から>
昔の写真<案内板にあった画像>。
広福門(こうふくもん)です。広福とは、「福を行き渡らせる」という意味だそうです。
明治30年代の広福門です。
<案内板にあった画像>
広福門をくぐったところから、左方向、奉神門(ほうしんもん)方向です。
奉神門(ほうしんもん)は、「神をうやまう門」という意味で、首里城正殿のある「御庭(うなー)」へ入る最後の門です。
この、「御庭(うなー)」へ入る前の広場を「下之御庭(しちゃぬうなー)」と言います。
<パンフレットなどから>
広福門をくぐったところから正面、首里森御嶽(すいむいうたき)方向です。
画像右側が礼拝所です。
広福門をくぐったところから右方向にある建物は、「系図座(けいずざ)」と「用物座(ようもつざ)」という役所があった建物です。<案内板から>
9:35頃、「下之御庭(しちゃぬうなー)」から広福門を通して、正殿が見えています。
広福門をくぐったところで、正面は正殿です。
広福門をくぐったところで、左方向は「北殿(ほくでん)」です。
北殿内は資料館・土産屋になっています。
広福門をくぐったところで、右方向は「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」です。
展示室になっています。

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