【 首里城公園 その2 】

首里城公園は首里城跡を整備した公園です。
首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、沖縄県那覇市首里にあった城です。

琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城で、戦前は正殿などが国宝でしたが、1945年(昭和20年)の沖縄戦などで完全に破壊され、1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元されました。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されましたが、登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」で、復元された建物や城壁は世界遺産ではありません。

<パンフレットなどから>

首里城の正殿内部から、首里城を出て弁財天堂までをご案内しています。

(2010年5月17日訪問)


 

首里城正殿です。
正殿内部(1階)です。
1階の平面図です。
正殿1階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、主に国王自ら政治や儀式を執り行う場でした。
<案内板から>
1階の、国王が座る玉座、御差床(うさすか)です。
正面から、1階の御差床(うさすか)です。
御差床の後の障子戸を開く(画像はその状態になっています)と、奥に国王専用の階段(おちょくい)があります。
国王はその階段を使って2階から御差床につきます。
<案内板などから>
1階の床に設けられた覗き窓から見た、首里城正殿の遺構です。
首里城正殿は創建以来、戦火・失火などにより4回の焼失と再建を繰り返しています。
ここに見える石積みは、焼失・再建を繰り返した首里城正殿の遺構です。
現在の首里城正殿は本来の遺構を保護するため、約70cmほどかさ上げして建築されています。
<案内板から>
正殿2階の案内図です。
正殿2階は日常的には王妃や身分の高い女官たちが使用した空間で、「大庫理(うふぐい)」と呼ばれました。
<案内板から>
正殿2階の御差床(うさすか)です。
正面から、2階の御差床(うさすか)です。

2階の「御差床」は国王の玉座として様々な儀式や祝宴が行われたところです。儀式の際には床の間には香炉(こうろ)、龍の蝋燭台(ろうそくだい)、金花、雪松等が置かれ、壁には孔子像の絵が掛けられていました。
部屋の上部にはかつて中国皇帝から贈られた御書(ぎょしょ)の扁額(へんがく)が幾つも掲げられていた。「中山世土(ちゅうざんせいど)」の扁額(へんがく)は古い記録をもとに再現したものである。
壇の形式は寺院の須弥壇(しゅみだん)に似ていて、側面の羽目板には葡萄(ぶどう)と栗鼠(りす)の文様が彫刻されています。
高欄は正面に一対の金龍柱(きんりゅうちゅう)が立ち、他の部材には黒漆(くろうるし)に沈金(ちんきん)が施されています。
<案内板から>
別角度で、2階の「御差床」です。
部屋の上部には、かつて中国皇帝から贈られた御書(ぎょしょ)の扁額(へんがく)がいつも掲げられていました。
「中山世土(ちゅうざんせいど)」の扁額(へんがく)は古い記録をもとに再現したものです。
<案内板から>
2階から広福門方向です。
正殿3階への階段で、この急な階段を上ると3階にいたります。(見学はできません)
3階は主に通風のために設けられた屋根裏部屋で、内部は彩色がなく、柱は八角形で1・2階よりも細く作られています。<案内板から>
3階透視図です。<案内板から>
正殿の右側から「南殿・番所(なんでん・ばんどころ)」・「広福門」方向です。
北殿内にあった、模型です。
現在は御庭(うなー)からの出口になっている「右掖門(うえきもん)」付近から、歓会門(画像中央)と久慶門(きゅうけいもん)です。
久慶門へ向かう途中にある「寒水川樋川(すんがーひーじゃー)」です。
瑞泉門付近の龍樋(りゅうひ)とならんで首里城内の重要な水源でした。生活用水のほかに防火用水としても利用されたといわれています。<案内板から>
久慶門(きゅうけいもん)から外に出ます。
外から見た久慶門です。
首里城公園を後にして、円覚寺跡に向かいます。
円覚寺跡です。
昭和47年5月15日に国指定史跡に指定されました。<案内板から>
円覚寺跡の復元図です。<案内板から>
解説です。<案内板から>
弁財天堂です。
別角度で弁財天堂です。

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