【 青の洞門(あおのどうもん) 】

中津市本耶馬溪町の青の洞門を訪れました。

青の洞門は禅海和尚が手掘りで掘った洞門だそうです。
但し、現在の洞門は、当時からは大きく変化しており、明治40年にはほぼ現在の洞門に近い形状で大改修が行われ、旧道は明り採り窓や、洞門の一部を残すのみなのだそうです。

2008年8月23日訪問
 
15:14頃、国道212号を分岐し山国川下流方向から「青の洞門」を通って駐車場に入りました。
禅海和尚の像がありました。越後の人だったんですね!。

<禅海和尚と青の洞門>
越後の人禅海和尚は、仏道修行のため回国行者となって諸国をめぐり、享保の頃この地に来た。
たまたま、山国川沿いの岩壁にかかる鎖渡の桟道で、踏み外して墜死する惨事を目撃し、仏道修行者としてkの危難を取り除き、衆生救済の門を開かんものと大誓願を発し、大岩壁に向かって鑿と槌をふるいはじめる。悲願30年、岩をも徹す禅海和尚の不動心は、ついに342mにおよぶ隋道を貫通させた。
平成2年8月15日本耶馬渓町(像の傍らの石碑から)
上の像がある辺りから、山国川下流方向です。
右岸側の岩山の下に現在の青の洞門があります。
青の洞門は片側交互通行になっています。
私は向こう側からこちらに走ってきて、禅海和尚の像がある駐車場に車を入れました。
この右側の歩道の突き当たりに、
旧洞門入口の案内がありましたので、
入ってみました。
手掘りの同門の一部が残されています。
手掘りの跡が
残っています。
道路の反対側に出ました。
現在の洞門の一部にも手掘りの跡が残っているところがあるのだそうですが、長居はしたくない地形です。
「今地震が来たら・・・。」って考えると、向こうに歩いていくことは出来ません。
ズームで写しました。
駐車場付近で上を見上げると、このような・・・・、怖いです。
早めに対岸に移動したいと思います。しかも青の洞門は通らずに・・・。
対岸には国道212号が走っています。
この鳥居の向こう側に行って、振り返って写すと・・・、
この画像で、向こう側に青の洞門が見えます。
ズームで写しました、画像左が山国川下流方向です。
私はあの道路を左方向から通ったのですね・・・・、
繰り返しになりますが、もう通りたくないかな^^;)。
地震は何時どこで遭遇するか分かりません!。


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