【 熊野磨崖仏(くまのまがいぶつ) 】

豊後高田市の熊野磨崖仏を見学しました。


熊野磨崖仏は、国東六郷満山の拠点のひとつであった胎蔵寺から山道を登ったところにあります。
伝説では、磨崖仏は養老2年(718年)に宇佐八幡の化身「仁聞菩薩(にんもんぼさつ)」が造立したと伝えられるが、「六郷山諸勤行等注進目録」や「華頂要略」などの安貞2年(1228)の項に「大日石屋」「不動石屋」のことが記されているので、鎌倉初期には大日、不動両像の存在が明確です。
また、胎蔵寺が記録にあらわれるのは仁安3年(1168)の「六郷山二十八本寺目録」であるので、磨崖仏の造立は藤原末期と推定されています。
昭和30年2月15日に国指定史跡に指定され、昭和39年5月21日国指定重要文化財に指定されました。<熊野磨崖仏管理委員会のパンフレットから>

2008年8月23日訪問
駐車場に車を入れて、参道を進みます。
快調に歩みを進めます!。
あら、けっこう急な石段です。
この画像の石鳥居の所から先は、
鬼の築いた石段
「鬼の築いた石段」と呼ばれるところ、もっと急な感じです。
参観券を販売しているところで、「良かったら杖を使ってください。」と勧められました。元気に「不要でーす!。」と応えたのでした、借りておけばよかったかも^^;)。
汗をかきながら登って、ようやく着きました。
上の画像を写した辺りから、今まで登ってきた「鬼の築いた石段」を見下ろしました。
左が不動明王、右が大日如来です。
不動明王のすぐ右に、方形の中に像が彫られていますが、神像だそうです。(6つ下で改めてご案内しています。)
熊野磨崖仏 不動明王
不動明王は高さ8m、憤怒相ではなく柔和な慈悲相です。
両脇に、脇侍の矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制咤迦童子(せいたかどうじ)が刻まれているが、剥離崩壊がひどいために存在が認められるのみである。(熊野磨崖仏管理委員会のパンフレットから)
ズームです。
熊野磨崖仏
右に回ってみます。
更に右へ、
ズームです。
不動明王の左脇侍の外側に1.5mほどの方形の龕(がん)が2つ刻まれていて巾子冠(こじかん)を戴き袍(ほうを付けた男神像の存在が認められます。この地が熊野神社境内であることを思えば、この2躯は家津御子(けつみこ)、速玉(はやたま)の2神と想像されます。<熊野磨崖仏管理委員会のパンフレットから>

すると、この画像の(向かって)右にももう一つの龕(がん)があったのかもしれませんが、気づきませんでした・・・。
この画像の神像は家津御子(けつみこ)なのか、速玉(はやたま)なのか・・・・。

龕(がん)
1 石窟や家屋の壁面に、仏像・仏具を納めるために設けたくぼみ。また、仏壇・厨子(ずし)にもいう。仏龕(ぶつがん)。2 遺体を納める棺(かん)や輿(こし)。ひつぎ。

袍(ほう)
1 綿を包み入れた衣服。2 すっぽりとからだを包む上着。外衣。
大日如来です。
熊野磨崖仏 大日如来
大日如来は、高さ6.8m、如来にふさわしい端正な顔形で頭部上方には三面の種字曼荼羅(しゅじまんだら)が刻まれています。(熊野磨崖仏管理委員会のパンフレットから)
磨崖仏があるところから、さらに石段を上ったところにある熊野神社です。
横に回って写しました。


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