【 臼杵石仏(ホキ石仏第二群) 】

臼杵市深田にある4群60余体の磨崖仏は「臼杵石仏うすきせきぶつ)」の名で知られています。
4群はホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群、山王山石仏、古園石仏ですが、ここではホキ石仏第二群のご案内です。

ホキ石仏第ニ群」には、石仏群に向かって左から第一龕(がん)・第ニ龕があります。

龕(がん):石窟や家屋の壁面に、仏像・仏具を納めるために設けたくぼみ。また、仏壇・厨子(ずし)にもいう。仏龕(ぶつがん)。

臼杵石仏は、千年の風雨に堪え、ひたむきな信仰のあかしを今もなお残しています。平安時代から鎌倉時代にかけて彫られたといわれ、遠く千年の歴史・文化を伝えています。
60余体の磨崖仏は、昭和27年に国の特別史跡、昭和37年に国の重要文化財の指定を受け、永年の歳月をかけて行なわれた保存修理工事を平成6年3月に終えました。
その時に頭部の姿で親しまれた古園石仏中の大日如来像も本来の姿(胴と一体になり)にかえり、臼杵磨崖仏四群59体が、平成7年6月に国宝に指定されました。
磨崖仏では全国初、彫刻においても九州初の国宝指定です。<臼杵石仏事務所のパンフレットから>

2008年8月23日訪問


 
8:27頃、参観券を購入して石仏群に向かいます。

本日は、ようこそ臼杵石仏(うすきせきぶつ)をご参拝くださいました。この臼杵石仏は、すべて切り立った岩肌に彫られた磨崖仏で、これまでは国の「特別史跡」と「重要文化財」の二重指定を受けていましたが、保存修理工事を終えた平成7年6月に、磨崖仏としては全国で始めて「国宝」の指定を受けました。
伝説によると、この臼杵石仏は今から千四百年前(飛鳥後期から奈良時代)真名野長者の名で親しまれた「炭焼小五郎」が、亡くなった娘の供養に中国の天台山に黄金三万両を献上して、そのお礼に来られた連城法師からインドの祇園精舎の話を伺い、都から木彫りの仏師を大勢招いて彫らせたといわれています。
(案内板から)

2008年8月23日訪問
ホキ石仏第二群の鞘堂(さやどう)が見えてきました。

鞘堂:建物を風雨などから保護するため、外側から覆うように建てた建築物。中尊寺金色堂のものが有名。覆堂(おおいどう)。
前面から見た鞘堂です。
建物の左側、柱の傍にあるのが、次の画像です。
礎石です。
この石は鎌倉時代、当磨崖仏に掛けられていた建物の礎石の一つです。現覆屋の建設工事中に発見されました。
<臼杵市教育委員会>
一段下がった、前面から見た鞘堂です。
鞘堂の前の供養塔。
ホキ石仏第ニ群 第一龕(がん)
第一龕は右から観音菩薩立像、阿弥陀如来坐像、勢至菩薩立像の阿弥陀三尊像です。
臼杵石仏 阿弥陀三尊像
見事な彫刻技術で彫られた、臼杵石仏うすきせきぶつ)の中でも最も優れた石仏の一つです。中尊の阿弥陀如来像はどっしりと量感豊で、毅然とした表情は彫技の冴えを感じさせる傑作です。<臼杵石仏事務所のパンフレットから>
右からの画像です。
左からの画像です。画像右側に写っているのは第ニ龕です。
さらに左に回ってみました。
第ニ龕(がん)側から第一龕方向です。
ホキ石仏第ニ群 第ニ龕(がん)
第ニ龕です。
案内板によると、右から観音菩薩立像、九品の阿弥陀(くぼんのあみだ)、天部立像(あるいは菩薩立像)です。
この画像には天部立像(あるいは菩薩立像)が写っていないと思われます。
上の画像とその上の画像を見比べると、上の画像の右に写っているのは、この不動明王だと思われます。
ここからは、九品の阿弥陀(くぼんのあみだ)を詳しくご案内します。
画像の左から二番目が坐像ですが、その坐像を含めて4体の阿弥陀です。
上の画像の左側にある、3体の阿弥陀です。
2つ上の画像の右にある、2体の阿弥陀(左側)と観音菩薩立像です。
九品の阿弥陀は、画像左から4体の立像、1体の坐像、4体の立像です。(この画像には10体写っていますが、右端は観音菩薩立像です。)

比較的小さな9体の阿弥陀如来像が刻まれています。中央の一尊だけが裳懸座に座し、色彩も鮮やかに残っているが他の8体は欠損がひどく惜しまれている。平安後期の作といわれている。<臼杵石仏事務所のパンフレットから>


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