【 難波宮跡 】

難波宮跡(なにわのみやあと)は、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)にあった宮殿の跡です。

孝徳天皇が645年に難波に遷都し(難波長柄豊崎宮)、652年に完成した前期難波宮と、奈良時代の神亀3年(726年)に聖武天皇が藤原宇合に命じて難波京の造営に着手させ、平城京の副都とした後期難波宮が、ほぼ同じ場所で営まれていました。

現在、難波宮の跡地の一部は難波宮史跡公園となり、園内には後期難波宮の大極殿・軒廊・大極殿後殿の基壇が復元されています。
また、前期難波宮の八角殿跡を示す藤棚も作られています。

(2010年11月22日訪問)
 
11:31頃、難波宮史跡公園の法円坂交差点側の入口です。
上の画像を写したところで、法円坂交差点と大阪歴史博物館方向を写しました。
高架道路は阪神高速道路東大阪線です。
入口を入ったところで写した、難波宮史跡公園です。
公園内にあった案内板。
公園内にあった案内板。
復元された、後期難波宮大極殿の基壇方向です。
この画像左下側、回廊跡の復元部と思われる所で写したのが次の画像です。
回廊跡を復元したものだと思います。
上の画像を写したところで右を向いて写しました。
八角殿跡を示す藤棚です。八角殿は前期難波宮のものです。
後期難波宮大極殿の基壇に近づきました。
北西側から、大極殿の基壇です。
中央大通・阪神高速道路東大阪線沿いから、復元された大極殿の基壇を写しました。
基壇は、大極殿後殿・軒廊・大極殿の部分が復元されていて、手前が大極殿後殿、軒廊を隔てて向こう側が大極殿のものです。
南を向いて写しています。
上の画像を写したところで右を向いて写しました。
西を向いて写しています。
上の画像を写したところで右を向いて写しました。中央大通・阪神高速道路東大阪線です。
北を向いて写しています。
上の画像を写したところで右を向いて写しました。
東を向いて写しています。
上の4枚の部分、「ぐるっと」映しました。
復元された大極殿後殿の基壇に近づいて、
上の画像の石段を4段上り、大極殿後殿の基壇上から、軒廊と大極殿の基壇方向を写しました。
さらに先に進んで・・・。
大極殿基壇の上面を北西側から写しました。
大極殿基壇の上面を北側から写しました。
大極殿基壇の上面を北東側から写しました。
大極殿基壇の上から、大阪歴史博物館の建物方向です。
画像右下は大極殿後殿の基壇です。
大極殿基壇の上で南方向を写しました。
大極殿基壇の上で西方向を写しました。
大極殿基壇の上で北方向(中央大通・阪神高速道路東大阪線方向)を写しました。
軒廊・大極殿後殿の基壇が写っています。

また右上付近に大阪城が写っています。
阪神高速道路東大阪線がこの付近で平面になっているのは、景観を考慮したためだそうですが、高架であれば大阪城も見えにくいでしょうね。
大極殿基壇の上で東方向を写しました。
上の画像4枚の部分、「ぐるっと」映しました。
大極殿基壇、軒廊基壇、大極殿後殿基壇を、大極殿基壇の東側から写しました。
大極殿基壇の南側から、大極殿基壇を写しました。
上の画像を写した場所から南に移動して、難波宮史跡公園の南端付近から大極殿基壇方向を写しました。

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