【 大阪歴史博物館 】

大阪歴史博物館(おおさかれきしはくぶつかん)は、大阪市中央区のNHK大阪放送局に隣接して建つ大阪市立の博物館です。
10階の古代フロアには、後期難波宮の大極殿が再現され、難波宮跡を眺めることができます。

(2010年11月22日訪問)
 
10:11頃、大阪歴史博物館(「現在地」とあるところ)に着きました。
現在地にあった、大阪歴史博物館、NHK、難波宮跡などの案内図です。
画像左上は大阪城公園です。
上の画像を写した付近から見た、大阪歴史博物館です。
画像右下の建物は、下の画像です。
古墳時代の倉庫群のうちの一棟を復元したものです。
古墳時代の倉庫群跡の発掘時の写真です。
上の画像は、この画像の「現在地」から写しています。
<現地にあった案内板から>
古墳時代の倉庫群の復元図です。
上の画像はこの画像にあるような方向から写されたものです。
<現地にあった案内板から>
古墳時代の倉庫群跡(青色で示されています)と博物館・NHKの位置関係です。
赤色は、前期難波宮の遺構です。
<現地にあった案内板から>
復元された倉庫以外は、石柱で遺構が示されています。
大阪歴史博物館は、NHK大阪放送局の新放送会館との複合施設になっています。
この入口を入って、右方向が次の画像で、
大阪歴史博物館への入口です。
エレベーターで10階まで上がり、エレベーターを降りたところです。
現地にあった10階の案内図です。
10階は古代フロアです。
後期難波宮大極殿を再現したエリアです。
このエリアでは、ビデオで後期難波宮の解説があり、その後南東側の覆いが開いて、ガラス越しに外を眺めることができます。
南東側の覆いが
開いて、外が見えるようになりました。
窓から眺めた、難波宮跡方向です。
画像中央に、復元した後期難波宮の大極殿基壇が見えます。
窓付近にあった案内図です。
窓付近にあった案内図です。
窓からの眺め、画像左端は大阪城公園です。
上の画像の右側、大極殿基壇方向です。
上の画像の右側です。
上の画像3枚の部分を映しました。
展示のパネルです。
縄文時代中期、弥生時代中期、古墳時代、現在の難波の様子です。
展示のパネルです。
遣唐使の出航想像図です。
前期難波宮を解説したエリアです。
上の画像に写っている前期難波宮復元模型です。
左上の黄色く塗られた部分が、
大阪歴史博物館が建っている位置です。
復元模型の解説です。
木簡が埋まる谷
大阪歴史博物館の北には前期難波宮北限の谷がありました。
「戊申年(ぼしんねん)」と書かれた木簡が谷の斜面から見つかり、前期難波宮が「難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)」であるという有力な根拠になりました。
木簡(複製)です。
掘立柱の周囲の焼け土を示した模型です。
前期難波宮は掘立柱で建てられていましたが、柱穴を発掘すると、柱の抜取穴に炭や焼け土が混じっていることが多い。これは、この建物が火災に逢ったことを示しています。
『日本書紀』には朱鳥元年(686年)に難波宮が火災で全焼したと記載されていて、前期難波宮の遺構の広範囲で認められる火災の痕跡はこの記事に対応しています。
<案内板から>
掘立柱の解説。
後期難波宮大極殿・軒廊・大極殿後殿の発掘模型です。
水色のラインが基壇の範囲です。
上の画像の模型は、前期遺構と後期遺構を表示し分けることができ、このように一緒に表示できるようにもなっていました。
後期難波宮復元模型です。
後期難波宮、大極殿発掘の様子です。
下の画像のように、四角で囲った部分が模型で再現されていました
上の画像の四角で囲った部分を再現した模型です。
2つ上の画像を解説した案内板です。
10階から9階以下にはこの画像左に写っているエスカレーターで下ります。
この画像中央部に写っている柱は、館内に再現された大極殿の柱です。

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