名護屋城(なごやじょう)は、肥前国松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市鎮西町名護屋)にあった城で、豊臣秀吉の文禄・慶長の役に際し築かれた城です。 現在は石垣や櫓台などが残り、城跡は国の特別史跡に指定されています。 (2010年8月20日訪問) |
8:39、車を駐車場に置いて城跡へ向かいます。 |
駐車場近くにあった「大手口前井戸」です。 |
名護屋城跡周辺案内図です。 私が使った駐車場は右下です。 |
8:42、大手口付近に着きました。 画像右側は本丸跡・東出丸(ひがしでまる)跡方向、左側は「太閤道(たいこうどう)」方向です。 |
案内板にあった名護屋城配置図。 |
案内板にあった諸大名の陣跡を示した図。 |
8:44、大手口跡です。 正面に続く道は本丸跡・東出丸(ひがしでまる)跡に至り、背後が「太閤道(たいこうどう)」です。 画像右の石垣で囲まれた部分は櫓台です。 大手口は城の正面入口といわれていて、ここから南に向かって唐津に通じる「太閤道(たいこうどう)」と呼ぶ道が伸びています。 平成4年度の発掘調査で、櫓台下の東側広場から掘立柱(ほったてばしら)跡が見つかりました。 <案内板から> |
上の画像左側に写っている石柱が、この石碑です。 |
案内板にあった大手口周辺模型の写真です。 |
案内板にあった櫓台の写真です。 |
本丸跡側から見た櫓台です。 |
大手口跡から、本丸跡・東出丸跡方向に進みます。 ここを上りきったところが2つ下の画像です。 |
上の画像を写したところで振り返って、大手口跡方向です。 |
大手口から続く道はここで左右に分かれます。 右に行くと東出丸跡、左に進むと三ノ丸跡・本丸跡です。 |
東出丸跡。画像右の石垣は櫓台です。 |
案内板にあった、東出丸平面図です。 |
東出丸の概要説明文。 |
案内板にあった、東出丸を描いた絵図。 |
案内板にあった、東出丸の位置図です。 |
別角度で、東出丸の櫓台。 |
東出丸跡を背に三ノ丸跡・本丸跡方向に向かいます。 |
三ノ丸跡です。 |
三ノ丸跡の概要説明文。 |
案内板にあった、三ノ丸を描いた絵図です。 |
三ノ丸跡にあった案内。 |
この先が本丸大手跡です。 |
案内板にあった、本丸大手の説明文。 |
案内板にあった、本丸大手平面図です。 |
案内板にあった、門礎石周辺出土状況を写した写真です。 |
本丸跡側(画像左側)から見た本丸大手跡です。 |
本丸跡です。 この画像右側の小さな石柱は次の画像です。 その左側の大きな石碑は、3つ下の画像です。 |
名護屋城址本丸の石碑。 側面には、 |
内務省の文字。 |
名護屋城跡の石碑です。 |
上の画像を写したところで、右を向いて写しました。 |
上の画像を写したところで、右を向いて写しました。 |
上の画像を写したところで、右を向いて写しました。 |
上の4枚の部分を動画で映しました。 |
石碑のところから、天守跡方向を写しました。 |
天守跡の前です。 |
「名護屋城天守臺址」の石碑。(上の画像にも写っています。) |
天守跡です。 下の画像の「現在地」の左側の隅から写しています。 上の画像の石碑はこの画像の右方向です。 |
現在地にあった案内板です。 |
現在地にあった案内板です。 |
案内板にあった、天守が描かれた絵図です。 |
天守跡の説明文。 |
案内板にあった資料。 |
案内板にあった資料。 |
案内板にあった資料。 |
天守跡の位置図。 |
4つの礎石のうち、手前の白っぽい物以外の3つは当時のものだそうです。 |
これです。 |
2つ上の画像に写っている扇形の案内板は、朝鮮出兵に係わった諸大名の陣跡を描いたものです。 画像左下の円内に記された範囲を描いています。 |
(重なる部分もありますが)上の画像の右側。 |
(重なる部分もありますが)上の画像の右側。 |
(重なる部分もありますが)上の画像の右側。 |
天守跡から、名護屋城跡の石碑方向です。 |
天守跡から見た二ノ丸跡です。 |
天守跡から見た遊撃丸跡です。 |
上の画像の右側。 |
呼子大橋(画像左側)方向。 |
上5枚の画像部分、ぐるっと映しました。 |
天守跡から本丸多門櫓跡(ほんまるたもんやぐらあと)方向です。 |
本丸多門櫓跡(ほんまるたもんやぐらあと)です。 |
本丸多門櫓跡の位置図。 |
本丸多門櫓跡の説明文。 |
現在地にあった、案内板の本丸多門櫓跡整備状況図。 |
本丸多門櫓跡の先、隅の場所は南西隅櫓跡(なんせいすみやぐらあと)です。 |
別角度で(天守跡は画像右方向)、南西隅櫓跡です。 |
上の画像に写っている案内板の写真です。 |
上の画像を写したところで、天守跡方向を写しました。 |
南西隅櫓跡の説明文。 |