【 吉野ヶ里遺跡 】




特別史跡「吉野ヶ里遺跡」を訪問しました。


2008年8月19日訪問

 
吉野ヶ里歴史公園への入口、歴史公園センターです。
園内マップ(案内板から)
チケットを購入して入園です。
入口ゲートの向こうに見えるのは「天の浮橋」と名付けられた橋。
橋の上から、北内郭方向を写しました。
逆茂木(さかもぎ)

米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになりました。
人々は自分達の集落を守るため、集落の入口など特に重要な区域には、とがった木の枝や幹でバリケードを築き、より厳重に守っていました。これを逆茂木(さかもぎ)と呼んでいます。


←発掘された、逆茂木の穴
南のムラ方向。
「弥生くらし館」という、弥生時代体験施設です。
吉野ヶ里遺跡1
南のムラをまとめていた「ムラ長一家」の敷地。
ムラ長一家の敷地案内図
住居や倉庫以外にも大型の倉庫や集会所などの建物があった。(案内板から)
南内郭へ通じる門と、城柵の向こうには南内郭。
門には正門と脇門があります。(案内板から)
復原図
吉野ヶ里遺跡 南内郭
吉野ヶ里遺跡南内郭は環濠と城柵、物見櫓などによって厳重に守られています。
画像の左右に写っているのが物見櫓(4つあるうちの2つ)です。
南内郭は吉野ヶ里の「国(くに)」の「大人(たいじん)」たちが暮らしながら、「国(くに)」の政治を執り行なっていた場所と考えられています。要所に物見櫓があり、広場を中心に「王(おう)」や「大人(たいじん)」の竪穴住居や煮炊屋、集会の館があります。「大人(たいじん)」たちの中で最高の権力者が「王(おう)」と考えられています。(案内板から)
吉野ヶ里遺跡2
王の家。
内部。
北物見櫓から王の家方向。
北物見櫓から北内郭方向

南内郭には4棟の物見櫓がありますが、北側にあるこの物見櫓(今登っている櫓)は他のものに比べ大きく、中央の柱を一方に寄せて片方を広く作ってあります。
また、北方の墳丘墓や北内郭などの重要な施設と向かい合っていることから、他の物見櫓とは違った特別な意味を持った建物であった可能性があります。(案内板から)
北物見櫓から南西方向の画像。


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