琵琶湖疏水の取り入れ口から水路トンネル(第一トンネル)まで、開渠部分を写しました。 琵琶湖疏水は大津市三保ケ関で取水し、三井寺の山下を通り京都市蹴上(けあげ)へと流れる人口の水路で、延長は約9Kmです。 京都市の飲料水、発電、物資輸送、農業用水など多目的利用のために立案されました。 第一疏水は明治18年(1885)、青年技師田邉朔郎(たなべさくろう)の指導のもとに着工、同3年に開通しました。第二疏水は明治45年(1912)に完成しました。<案内板から> (2009年11月21日訪問) |
12:28頃、国道161号の「三保ケ崎橋」です。この下から琵琶湖疏水が始まります。 画像向こう側が瀬田川方向、画像左側が琵琶湖側です。 |
三保ケ崎橋の上から琵琶湖方向です。 |
上の画像を写したところで振り返って、疏水方向です。画像手前の道路は国道161号です。 |
尾花川橋から琵琶湖方向の画像です。 |
揚水機場の脇を |
琵琶湖疏水が通じています。 分かりにくいのですが、画像に橋が2つ写っています。向こう側の橋が3つ下の画像を写した大津絵橋です。 |
上の画像を写したところで振り返って、琵琶湖方向です。 |
三保ケ崎橋の下です。画像左側が疏水方向です。 |
大津絵橋の上から琵琶湖方向です。 |
上の画像を写した場所で振り返って、疏水方向です。 |
上の画像に写っているコンクリート製の橋の上から疏水方向です。 画像手前の橋は・・・、 |
京阪石山坂本線の鉄橋です。 |
北国橋の上から、琵琶湖方向です。向こうに見えるのは京阪石山坂本線の鉄橋です。 |
上の画像を写したところで振り返ると、このような施設があります。 |
左側は閘門のようです。 |
疏水の流れはこちらの水路を通るようです。 |
付近にあった石柱です。ここにも明治天皇が行幸したんでしょうね。 |
閘門の下流側です。 |
別角度で閘門の下流側です。 |
上の画像を写したところで振り返って、「第一トンネル」方向です。 |
ズームです。 |
さらにズームです。 |
現地にあった案内板です。 琵琶湖疏水は、明治維新で東京に都が移り活気を失っていた京都の復興を目指して、明治18年(1885)に建設を始め、明治23年(1890)に第一疎水が完成しました。 疏水の水は、水車動力、舟運、灌漑、防火などに使われ、さらに日本初の事業用水力発電に用いられました。生み出された電力によって工業が発達し、日本初の電気鉄道が走るなど、京都はにぎやかさを取り戻していきました。 多くの恵みを京都にもたらした琵琶湖疏水は、今も水道や発電などの水として、市民の生活を支える源となっています。 琵琶湖疏水は、建設当初3つのトンネルがあり、各出入口には明治の元勲が文字を書いた扁額(へんがく:門戸等に掲げる横に長い額)が掲げられています。<案内板から> |
上の地図の続きです。 |
第一トンネル入口部の扁額です。 文字:氣象萬千(きしょうばんせん) 揮毫者:伊藤博文 意味:様々に変化する風光は素晴らしい<案内板から> |
往年の琵琶湖疏水の曳船<案内板の写真>です。 |
別角度で、第一トンネル入口です。 |
ズームです。 |