【 彦根城(ひこねじょう) 】

たぶん三十数年前に行ったことがあると思う・・、彦根城を訪問しました。

関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功をたてた井伊直政は、この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601)に上野国高崎城から佐和山城へ移りました。
その後、直政は城を彦根山に移そうと考えましたが実現せずに病死しました。
慶長8年(1603)、直政の子直継が彦根城の築城に着手し、元和8年(1622)に現在の彦根城が完成しました。
昭和27年には天守が国宝に指定されました。<現地の案内板から>

(2009年11月23日訪問)
 
大手橋です。
大手橋からみた内堀です。
現地にあった案内板の絵図。
大手坂。
天秤櫓(てんびんやぐら)は重要文化財だそうです。
この櫓は、豊臣秀吉が創築した長浜城大手門を移築したといわれているもので、ちょうど天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれました。
この形式は、わが国城郭のうち彦根城ただ一つと言われています。
嘉永7年(1854)に中央部から西方の石垣を足元から積み替えるほどの大修理があり、東半分の石垣がごぼう積みであるのに比べ西半分は落とし積みになっています。<案内板から>
天秤櫓の内側です。
天秤櫓をくぐって天守方向へ向かいます。
太鼓門櫓(たいこもんやぐら)も重要文化財だそうです。
櫓門としては珍しく、その背面が開放されて高欄付(こうらんつき)の廊下になっています。<案内板から>
天守です。
ズームです。
別角度で天守ですが、観光客が群がっています。
一つは天主閣へ入ろうという人々・・・。
もう一つは・・・、
天守閣に並んでいる人数よりも多い、ひこにゃんのショーを見ている人々でした(大笑)。
着見台から見た天守閣です。
着見台からみた琵琶湖方向です。
ここからカメラを右に振りながら3枚写します。
上の画像の右側です。
上の画像の右側です。
上の画像の右側です。
あれあれ、ここも世界遺産がご希望ですか・・・(苦笑)。
外人の観光客も増えるでしょうから、多くの観光地が背伸びするんでしょうね。
天守側から彦根城博物館ヘ向かう石段です。
彦根城博物館です。
表門です。
表門橋です。
二の丸佐和口多聞櫓(にのまるさわぐちたもんやぐら)も、重要文化財です。
佐和口は、内堀に開く4つの口の一つで「いろは松」に沿った登城道の正面に位置しています。
佐和口には、かつて内堀に接して高麗門があり、その内側を鈎の手に曲げて櫓門が築かれていました。城門の形式としては最強の枡形で、重厚な構えになっていました。<案内板から>
いろは松です。

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