【 三井寺(みいでら)<園城寺(おんじょうじ)> 】

一般には「三井寺(みいでら)」として知られる園城寺(おんじょうじ)は、大津市にある天台寺門宗の総本山で、山号は「長等山(ながらさん)」という。
日本三不動の一である黄不動(秘仏として伝わる)でも知られる寺で、観音堂は西国三十三箇所観音霊場の第14番札所です。また、近江八景の一つである「三井の晩鐘」でも知られています。

<パンフレットから>

(2009年11月21日訪問)


12:13頃、仁王門です。
仁王門の近くにあった境内案内図です。
金堂の側面が見えてきました。
金堂は国宝です。
別角度で金堂です。
鐘楼(近江八景 三井の晩鐘)です。
近江八景三井の晩鐘の説明文です。
金堂の西側、軒下に接して建つ「閼伽井屋(あかいや)」は重要文化財です。
閼伽井は仏前に供養する水を汲む井のことで、閼伽井屋はその覆屋(おおいや)として建てられたものです。
建物は桁行3間、梁間2間、向唐破風造(むかいからはふづくり)、桧皮葺で、慶長5年(1600)に金堂に引き続いて再建されました。
内部には天智・天武・持統の3代の天皇の産水となったとされる泉が石組の間から湧き出ています。
そのために「御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったといわれています。<案内板から>
閼伽井屋(あかいや)内部です。
弁慶の引き摺り鐘
奈良時代の作とされている鐘です。
むかし、俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)が、三上山の百足退治のお礼に琵琶湖の龍神からもらった鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。
その後、山門(延暦寺)との争いの際に弁慶が奪って、比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。<案内板から>
弁慶の引き摺り鐘の隣にあったもの。
経蔵は室町初期の建築で、慶長7年(1602)毛利輝元によって、山口県国清寺から移築・寄進されました。
重要文化財です。<案内板から>
経蔵の堂内には高麗版一切経を納める、回転式の八角輪蔵があります。
経蔵付近から金堂方向です。
三重塔は慶長6年(1601)に徳川家康によって寄進されたものです。<案内板から>
画像左下の建物は次の画像です。
手前の建物「潅頂堂」は寺流の密教を伝承する道場です。
この画像右端に写っているのは、大師堂で開祖智証大師円珍を祀っています。
光浄院は公開されていませんでした。

PAGE TOP